西尾城、東条城ときたので、やはり次も吉良家ゆかりの場所として岡山陣屋をご紹介します。
岡山陣屋跡
門があり、門のむこうに吉良上野介義央公が馬に乗っていらっしゃいます。
基本、陣屋跡はこれだけです。
看板には
史跡
岡山陣屋跡
徳川家康からこの地に二百石鳥羽に三百石拝領した義定は、ここに館を建て、以後 義弥(よしみつ) 義冬 義央(よしひさ)と続いた。今このあたりは殿町と呼ばれている。
超簡単!!
他に
尾崎士郎さんの小説の一節。
そして、
陣屋の椿
です。
この陣屋の椿はなんとなく、特別なポジションですね!!
言われはよくわからないので、また、調べて報告させていただきます。
実は、本当に地元に居ながら、大変な間違いに気づきました。(;^_^A
それは、今まで
吉良上野介義央公は東条城にいらっしゃった
と思っていた
ということ。
実際は、基本、吉良上野介義央公はここ岡山陣屋が拠点となり、江戸では両国の吉良邸ということでしょう。
東条城のWikipediaを見れば、
翌天正10年(1582年)には忠吉が駿河国沼津城主となり東条城は廃城となった。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E6%9D%A1%E5%9F%8E
とあります。
つまり、吉良上野介義央公がお生まれになった1641年には廃城になっていたということです。
いつからそんな大事なことを間違って覚えていたんだろう???
西尾原人(にしおげんと)