瞑想で消えていく 一言シリーズ
今日は瞑想についてです。 瞑想を行うという、行いを止める事が瞑想かもしれません。覚醒している聖者と祝われる人達は、「 いまここ 」この瞬間しかありません。と言います。この本当の意味は、「 いまここ 」この瞬間にしか 気づきの意識、観照意識に気づけない事を意味します。気づいている、この瞬間こそが、いまここであり、 気づいているこの瞬間に落ち着かせる事が瞑想となる と言っても良いかもしれません。もちろん、瞑想を今から行うという 自我の働きがダメという事ではなく、それは方便として、その流れはあっただけです。最後は悟り的に言えば、それを思っているのは、自分ではなく、浮かんて来たものだけなのです。最近は、体感として、サロンでもこのような話をしてもわかってきている人も多いので、とてもうれしく思います。このような本質的な話というものは、シフトが進んで、少しでも体感がある人となると、とても共感できるものとなります。アセンションの時代は、そのような体感を得ることは、そんなに難しくなくなってきています。だれでも悟りに入れます。 入りやすい時代になってきつつあるのです。kuの場合は、瞑想となると、外側も内側もなく、小さな点のようにエゴが溶けていくような感じになり、全体となります。ここ最近は、さらにそれが日常でも深くなってきつつあります。今日のような記事は、言葉というより、この波動を感じていただければ善いのかな?と思います。全体の中に浮かぶ、タスペトリ―のような、現れを 観察しながら人それぞの瞑想は進んで行きます。いや、そうなればとても良い具合かもしれませんね。新動画です。↓ ↓※ ↓ 完売しました。全400名ありがとうございました。次の販売は今年の夏あたりです。※サロンはいつでも入会できます。新規もどうぞ。