今もちょっと表に出てきたのですが、すっかり夏日和の今日この頃

 

ですネ。ハナモモの木にも身が結構生っていますし、ハナモモも実

 

がいっぱいです。ミカンにも実がなり始めて居ますし来春がちょっ

 

と楽しみな今日この頃です。量はそんなに多くは無いですが、タマ

 

ネギの収穫も出来ましたし、イチゴもなり初めています。

 

ただ、外は結構暑いのが大変な今日この頃です。

 

今日は小学校校庭で、学区のグランドゴルフでしたが、我が町内

 

が団体優勝に成ったのもあり昼は食事会になったようでした。私は

 

家で昼食でしたが、家内もタマには昼食会も良かったですネ。

 

日野情報のブログも拝見しましたが。考えてみたら日野も随分御無

 

沙汰ですが、今の私には昔を思い出しながら、昔を思い出すしかな

 

さそうですが、ちょっと懐かしく思い出させて頂きました。

まあ、こんなお爺が今更誕生日と言っても、「それがどうした?」

 

って言われそうですが、まあ一応節目ですので御笑覧下さいね。

 

先月28日には従兄の70歳で殺された従兄の命日でしたが、30

 

年以上に成るとなかなか情報も聞こえないようでした。

 

ただ、そういう私もこの年ですのでもう何年元気でいられるかそ

 

ちらの方が気になる年代ですが、少しずつ頑張って行こうと老骨

 

にムチ打ちながら頑張る所存ですので、どうかよろしくお願い致

 

します。

今年も見事にハナモモが咲き誇ってくれました。

 

自宅を新築の際から随分花苗など植え続けてきましたが、改めて今

 

年の春から振り返ってみると、随分の花苗など植えてきましたが、

 

先月下旬から結構次々と花が我が家の庭先を彩ってくれています。

 

というのも、宅地を購入した時は、県内一帯を山林周りの工事に

 

関わっていたのもあって、民有林の小さな花苗など掘って持ち帰っ

 

ていた時代もありました。それが段々増えたり、花苗を購入した結

 

果が今の庭になったのでした。小さい苗が育ったのもありますが、

 

こうして暇なく咲いてくれる花々を見るにつけ、いろんな思いが繰

 

り返されますが、やはり忘れられないのは従兄の角南春彦さんご夫

 

妻ゆかりの「ハナモモ」です。今年も1か月近く前から楽しませて

 

頂きましたのは、岡山県に神奈川県から間なしに県北の新見町に職

 

探しなどで滞在された従兄の角南春彦さんご夫妻の追悼の心を込め

 

たハナモモでした。私とは1回りほど近く年齢は離れていましたが、

 

後にお互い営業職で路上で会うと合図し合ってお茶をしにったりし

 

ていました。県北在住だった時代には岡山市内の彼の実家に2か月

 

ほど住ませてもらった時代もありました。温厚な方で可愛がって貰

 

った時代もありました。

 

ただ公訴時効成立直前に公訴時効が無くなったのを機に今も捜査は

 

続行中です。

 

庭先のハナモモは事件後被害者の角南春彦さんの兄から「花が咲い

 

たら春彦を思い出して」と庭先に植えてくれました。ただ思いはつ

 

ながるものの、事件の進展は難しいようですが、この花がある限り

 

1995年に無念の死を遂げた従兄は今も私の中で微笑んでくれていま

 

す。

今年はこれまでにないハナモモが満開になって庭の一角を飾って

 

くれましたが今月下旬にはまた従兄の角南春彦さん夫妻の命日を

 

迎えます。段々良い情報も減ってきましたが、私にとっては、か

 

けがえのない従兄です。

 

彼の身内も減ってしまいましたが、用務で彼の生家の近くを通り

 

ますが、大学受験時代や県北の新見時代に、取引先の要請で岡山

 

市内に召集され、春彦さんの実家から岡山市内の取引先に2か月

 

の予定で招集された事などを思い出します。ほど近い教会で、い

 

つも聞いていたラジオ番組の女子アナさんとお目にかかったこと

 

も思い出されます。その後春彦さんのお身内も次々亡くなられま

 

したが、時折生家後を通ったりして、思い出にふけったりしてい

 

ます。

先日従兄の形見の花桃が開いたと紹介させて頂きました。

 

これまではある程度開いたら散っていくことが多かったのですが、

 

今年は咲き始めてもどんどん花が広がって、正直「こんなに咲くん

 

だ!」という感じです。

 

まあ咲ききって散り始めたら落ち葉も拾わ、なんて思ったのですが

 

全くそのそぶりもなく、咲き誇っています。

 

 

 

 

 

 

実は昨夜と今夜の新選組のドラマですが、今日は9時過ぎには外

 

出予定も有ったので意気揚々と番組の開始を待ったのですが、開

 

始5分で見ないでそのままベッドへGO!でした。

 

まあ、好き好きはあるでしょうが私的には見るのは時間の無駄と

 

いう感じでした。まあ、ドラマの内容によっては、出先でも話題

 

にもなると思ったのですが、そうしたことも全くなく、なので今

 

夜も見ないままGO TO bedになりそうです。事前の予告が結構

 

大々的?だっただけにちょっとがっくり来た昨夜、今夜のTBSドラ

 

マでした。まあ、好みもあるでしょうが、今日か明日にはブログに

 

と期待していただけにチョット、いや、かなりがっかり来たテレビ

 

の予告でした。

今朝庭のハナモモを見たのですが、すっかりツボミが膨らんできま

 

した。

 

早いもので従兄の春彦さんが亡くなって随分経ちますが今年もあの

 

忌まわしい事件の日が近付いてきましたが、庭のハナモモはツボミ

 

を膨らませてきました。

 

特に今日は温度も高く、桜の開花宣言という場所もあったようです。

 

1995年4月28日。あの温厚な従兄の角南春彦さんが無残な姿で発見

 

されて、30年余りです。今年もあの忌まわしい日が近付いてきまし

 

たが、従兄がハナモモを植えてくれてから久しくなりますが、ハナ

 

モモだけは忘れずに花を開いてくれますが、もう1か月もすれば、濃

 

いピンクの花を開いてくれることでしょう。

実は今私のPCの横には2種類の新聞が並んでいます。

 

1枚はあの震災から1年後に、全国の新聞各社が作った震災の記念紙

 

で、もう1部は京都新聞の13日付の号外です。

 

あの震災から今日は15周年ですが、野球のネタもあってそちらに押

 

され気味?という感もありますが、記念紙から紹介させて下さいネ。

 

この記念紙はは震災から1周年の日に、全国の新聞各社が協力して作っ

 

たものですが、表紙を開くと被災地3県4紙の1面記事があります。「岩

 

手日報」「河北新報」「福島民報」「福島民友」の1面記事に成っています。

 

 3月11日から1年。岩手、宮城、福島の「あの日」と「いま」

 

 3月11日の大震災によって日本人は多くのことに気ずきました。自然

 

 災害の脅威、防災の必要性、日常のありがたさ、命の大切さ、支え合

 

 うことの大切さ。被災地には日本中から多くの支援と声援が届きまし

 

 た。ありがとう、心からそう思いました。そして、あの日から1年。時

 

 とともに、震災の記憶の風化も進んでいます。私たち岩手、宮城、福島

 

 の4つの新聞社は、被災地の「あの日」と「いま」をあらためて伝えよ

 

 うと思います。この紙面は3県だけでなく全国の地方新聞社のご協力に

 

 よって、200万人の手に届けられます。同じ空の下で暮らす1人でも多

 

 くの人が、震災を忘れず、震災から学ぶこと。それが一人一人のため、

 

 被災地のため、この国のためになる。私たちはそう信じています。

 

紙面は3県4紙の1面記事と3県の1年後の現在の様子を紹介しています。こ

 

の紙面は各紙の本社などのほか、県庁や岡山市役所などにあり、数えられ

 

ないくらいの多数の方に差し上げました。

 

そして、3月13日ですが、予定通り京都で「山南忌」が行われたのですが、

 

その前夜遅くに東京から若い女性の電話があったのですが、現在も情報交

 

換を続けている、当時早大生の方が、「震災で怖いので、実家の松江に帰り

 

たいが、列車が岡山から先が明朝しかないので、一夜の宿を…というもの

 

だったのですが、長距離バスの岡山―京都が満席で明日の朝は早朝から京

 

都行とお断わりせざるを得なかったのですが、結局父上が夜走りで迎えに

 

見えたそうでした。今はご主人の転勤で、数日前にはドバイから空路帰宅

 

されました。

 

そして出向いた京都ですが、やはり参加が少なかったのですが、帰りに京

 

都駅で配布していた号外もありました。

 

 「3号機冷却機能喪失・福島第一原発」モックス燃料露出」という見出しの

 

 号外もありますが、今なら分かりますが、当時は全く意味不明に近い号外

 

 ですよネ」

 

あれから15年。亡くなった方のご冥福をお祈り申し上げます。

 

亡くなった従兄のことを思いながら大事に育ててきた庭のハナモモ

 

 

が今年もツボミを膨らませてきました。

 

1995年4月28日未明、倉敷市児島地区の農業角南春彦さん=当時(70)≖

 

方から出火。母屋と納屋などが全焼し、焼け跡から角南さん夫妻の頭部

 

のない遺体が発見された。

 

当時倉敷支社(現倉敷本社)に勤務していた山陽新聞記者の池波須記舍は上

 

司の指示を受けて現場に向かいました。原形をとどめないほど焼け落ちた

 

角南さんの自宅跡。カメラのファインダー越しに見たその光景は、30年を

 

経た今でも脳裏に気差まれている。

 

2人の尊い命が奪われた放火殺人事件は2010年の公訴時効成立直前、殺人

 

罪などの時効を撤廃する改正刑事訴鎬こう法が施行され岡山県警は現在も

 

捜査を継続。毎年4月末にはJR児島駅などで情報提供を呼び掛けている。

 

その活動を報じる記事を見て連絡をくれたのが岡南支局(当時)勤務時に

 

知り合った長倉達郎さん(88)=岡山市南区南輝。いとこの春彦さんとは一

 

回りほど年が離れていたが、一緒に暮らしたことも間柄で親しかった。自宅

 

の庭のハナモモは事件後春彦さんの兄から「花が咲いたら思い出してやって」

 

と託されたものです。

 

10月末、26年前の1999年に発生した名古屋市の主婦殺害事件で容疑者逮捕の

 

ニュースが流れた。数年余り前から自らのブログで春彦さんのことを発信し続

 

けている長倉さんは「30年が経過し完全な解決は難しいかも知れないが、彼の

 

無念を忘れてもらいたくない」と語ります。

 

岡山県警によると昨年度までに282件の情報が寄せられたが、近年は年間1桁台

 

にとどまる。報道に携わる者として改めて「伝え続ける」ことの大切さを胸に

 

刻みたい。

 

 山陽新聞児島支局長の池葉須支局長はこう言って文章を結びました。

話を戻しましょう。

 

そんな経緯から始めたプロパン屋でしたが、今はクラヤを継いでい

 

るのが稲葉浩志君の兄貴です。高校の同窓会で、浩志君のデモテー

 

プを聞きましたが、正直高音のシャウトには驚きましたし、「試しに

 

1年でもやらせてみたら?と言ったのは浩志ママが持参したデモテー

 

プをきいたあとでしたが、実は私のプロパン屋開業のバックアップを

 

してくれた、醤油屋さんの社長の姉上がB’zママの叔父上でした。

 

幼い浩志君と兄の後のクラヤ店主の叔父上でしたので、浩志ママは良

 

く叔父のお宅に2人のちびちゃんを連れて来ていたのでした。

 

事務所スペースに覗いていた浩志ママの処に覗いていた浩志ママに「お

 

兄ちゃんがボクを苛める」と泣いてきては、母上のスカートで涙を拭い

 

ては叱られる姿も良く見たものでした。

 

そんな浩志君も大きくなり、彼のデモテープを聞くようになったのでした

 

が、テープを聞いても今の浩志君は想像出来なかったです。

 

私の家内は津山の出身でしたが、やがて津山の施設にも入るようになった

 

のですが、その場所は稲葉邸を通る場所だったのもあり、何度か立ち寄っ

 

たこともありましたが、家内の両親も亡くなり車の免許も返納した今は、

 

すっかり津山とも縁が無くなっちゃいました。ただ、最近あった津山市長

 

選挙で新しく市長になった方は,長女が生まれた病院の御子息だったり、

 

津山とご縁が無くなったわけでもないのですが、数年前に稲葉邸にお邪魔

 

した際に行きましたが、「そういえば浩志にそんなこともあったんだったネ」

 

と半ば忘れていたような反応でしたネ。