実は今私のPCの横には2種類の新聞が並んでいます。
1枚はあの震災から1年後に、全国の新聞各社が作った震災の記念紙
で、もう1部は京都新聞の13日付の号外です。
あの震災から今日は15周年ですが、野球のネタもあってそちらに押
され気味?という感もありますが、記念紙から紹介させて下さいネ。
この記念紙はは震災から1周年の日に、全国の新聞各社が協力して作っ
たものですが、表紙を開くと被災地3県4紙の1面記事があります。「岩
手日報」「河北新報」「福島民報」「福島民友」の1面記事に成っています。
3月11日から1年。岩手、宮城、福島の「あの日」と「いま」
3月11日の大震災によって日本人は多くのことに気ずきました。自然
災害の脅威、防災の必要性、日常のありがたさ、命の大切さ、支え合
うことの大切さ。被災地には日本中から多くの支援と声援が届きまし
た。ありがとう、心からそう思いました。そして、あの日から1年。時
とともに、震災の記憶の風化も進んでいます。私たち岩手、宮城、福島
の4つの新聞社は、被災地の「あの日」と「いま」をあらためて伝えよ
うと思います。この紙面は3県だけでなく全国の地方新聞社のご協力に
よって、200万人の手に届けられます。同じ空の下で暮らす1人でも多
くの人が、震災を忘れず、震災から学ぶこと。それが一人一人のため、
被災地のため、この国のためになる。私たちはそう信じています。
紙面は3県4紙の1面記事と3県の1年後の現在の様子を紹介しています。こ
の紙面は各紙の本社などのほか、県庁や岡山市役所などにあり、数えられ
ないくらいの多数の方に差し上げました。
そして、3月13日ですが、予定通り京都で「山南忌」が行われたのですが、
その前夜遅くに東京から若い女性の電話があったのですが、現在も情報交
換を続けている、当時早大生の方が、「震災で怖いので、実家の松江に帰り
たいが、列車が岡山から先が明朝しかないので、一夜の宿を…というもの
だったのですが、長距離バスの岡山―京都が満席で明日の朝は早朝から京
都行とお断わりせざるを得なかったのですが、結局父上が夜走りで迎えに
見えたそうでした。今はご主人の転勤で、数日前にはドバイから空路帰宅
されました。
そして出向いた京都ですが、やはり参加が少なかったのですが、帰りに京
都駅で配布していた号外もありました。
「3号機冷却機能喪失・福島第一原発」モックス燃料露出」という見出しの
号外もありますが、今なら分かりますが、当時は全く意味不明に近い号外
ですよネ」
あれから15年。亡くなった方のご冥福をお祈り申し上げます。