ーHS会員の独り言ー
今年の2月初めのブログに以下のようなことを書いた。
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T.H館長のような、会員たちの悩みとか現状に敏感に関心を示し、理解と心の救済に尽力できる職員さんは貴重なのに、なぜにこうした職員の還俗を許すのか。
これを機に、わたしは今まで溜めてきていた自分の意見、思いを 総合本部に電話で申し立てた。
上部管理職の方たちのコミュニケーションの不得手。自己保身。責任逃れはなかったのか。
今までに見聞きし体験してきた、わたしの感想、考えを率直に述べさせていただいた。
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最近、このT元館長の還俗理由とやらが流れているのを耳にする機会があった。精舎推進のトップが各館長に電話で直接説明されたらしいということも耳にした。
電話で説明を受けた館長のどなたかが、元館長側に話した、と思える情報であった。
わたしはまたもや総合本部に上申したい思いに駆られた。
人の話に耳を傾けられずに、ただ自分からの指示だけを下して。進言されたことに対しても、採用できないなら出来ない旨をきちんと話すこともなく放置したまま無視の状態で・・・・・
なぜに 還俗理由だけ一方的な推測で、それも他の人たちに説明できるのか??
本当の還俗理由はそんなものじゃない。そんな短絡的な理由ではない。
あえて、直接的理由を言うなら、「あなたのその権威主義だ」
そこに、仏法に帰依し、主のお心に従う、真の仏弟子の姿も道も感じられなくなっていたからだ。
それなら、自由を得て、主への信仰を貫ける立場に・・・と決意しただけのことだ。
当人にどこかでお会いすることがあったなら、きっと私は、5分間の時間を頂いて、その方に抗議意見を述べるだろう。もちろん、感情論ではなく、理性ある意見としたい。← これ わたしの修行課題だ。
いま、わたしたちは、「純粋な信仰」とか 「嘘はつくなかれ」とかいろいろ教えを頂いているけれど、在家ばかりが頑張っても オイオイ~と思うことがてんこ盛りだ。
T 元館長の進言は無駄にはなっていないと思う。
そうした意見が上がったりすることで、現在の組織が鼓舞されたりして来ていると思っている。
最近の御生誕祭の理事長の話などは、覇気のない年頭のあいさつとは打って変わって、未来への意気込み 希望を感じられた。
わたしたちは、組織の役職に関係なく一人ひとりが Independent な信仰者である必要があると思っている。