【決断/とにかく長文】 2016年6月13日(月) 

 

授業後に、担任の先生と打合せをしました。

私は、母親として4月19日から家庭生活だけじゃなく、学校生活もジュンと共に約2ヵ月過ごして感じた事を担任の先生へ伝えました。

そのあとで、私の身の振り方とジュンの”今後の事”を相談しました。

まず私の思いを、あくまでも”母親主観”として言いました。

今ジュンを苦しめているのは『客観的に出来ない自分が見えてしまうから』ではないのか?…と。その根拠は、聴覚について「うるさく聞こえるようになったのは、いつ?」とジュンに聞いたところ「4月のろく(6)から」と即、言いました。

時間の経過を理解していました。4月6日は入学式です。

今現在、6月で入学式から2ヵ月が経ちました。周りのみんなは、係りの仕事や学級当番など新しい事に取り組み始めています。ジュンも係りの仕事を持っていますが、ほぼ出来ず、自分だけ出来てないと”自覚”しています。

また、周りのみんなは「騒がしい」と注意されながらも、教室で授業を受けていますが、ジュンは、ほとんど教室に居ません。

家でのジュンは、毎朝”時間割”を見て自分から授業内容をチェックしています。国語と算数の教科書のページ数も確認しているので、これも自分だけ遅れていると”自覚”しています。

ジュンは”自分自身”について、そこまで自覚できるのに”聴覚過敏”について納得しているのは、聞こえ方の違い”のみ”なんです。その一部分に関しては気がラクになりましたが、自分の出来ない理由が『聴覚過敏から”波及”して来ているもの』だという結び付きが理解できず、それはそれ、これはこれ、という考え方になってしまって『自分だけ出来てない事実』という大部分にジュンは苦しめられていると、私は感じています。

さらに、周りとの”差の広がり”も日々自覚していると思います。

最近、ジュンの行動が荒荒しくなるのは、そのせいではないのか?…とも。

だから、聴覚過敏で、うまく聞き取れないと納得していても”イライラする自分が腹立たしい”、うるさく聞こえると納得していても”教室から出ている自分が腹立たしい”、素材が体質に合わず体操服が着れないと納得していても”体育の授業を受けない(体育の顧問が”ある先生”だからかも)自分が腹立たしい”…と。このように私は、担任の先生へ理由付けを前置きしてから、最後に結論を言いました。

「このままではジュンがもっと苦しむような気がして、そう思うととてもツライんです。先生と別れるのは寂しいけれど、ジュンを『少人数クラス』へ移したいと考えています。見学できますか?」…と。

少し間が空き、担任の先生が言いました。「…私も寂しいです。一度、あちらの先生に確認してみますが◯◯◯◯さん(ジュンの名前)が納得してからの方がいいと思います。」…と。

この決断は、ジュンにとって新たな環境の変化となり、好きな担任の先生や友達と離れる事にもなります。それでも、私は今のジュンに必要なのは静かな”場所”で『少人数クラス』だと思いました。この学校には、ひとクラス設置されていました。もし、うまくいかなければ学校をやめるつもりでした。

 

さいごまで読んでくれて、ありがとうございました<(_ _)>