"生まれた環境"を憎むってこと。
"それ"を、
憎み出すとさ、
憎み始めちゃうとさ、
なんでこの家に生まれたんだろう、
なんでこの人達が親なんだろう、
なんで...
なんで...
て、
ホント全てが憎くなる気がする。
嫌って言えばいいじゃん、
逃げればいいじゃん、
なんて、
所詮"子供"には、難しくて、
たとえば、家出して、補導されでもしたら、自分の履歴にキズがつくだけで、
将来的に、なんもいいことないって、
わかってるタイプの子供は、
その選択肢もないから、
たとえ、どんなに、
帰りたくないと思っても、
そこにしか、帰る場所はなくて、
どう頑張っても、その家に帰るしかないんだよな...
そして、
大人になっても、
"憎んだまま"だと、
ずっと、うまく昇華できない思いと、
戦っていく事になる。
ただ、
憎しみがあふれそうになる時に、
確かに、
生まれた環境によって、
与えられなかったモノは、あったかもしれない、
けど、
与えられたモノだって、あったはずだって、
自分に言い聞かせて、
与えられたモノのほうを、数える事で、
それで、踏みとどまれるって事も、
ある。
境遇って、嘆きたくなるモノだけど、
ただ境遇を嘆くだけで、終わりたくはないって、思うなら、
たとえどんな境遇であっても、
成長するにつれ、
そこから、自分で立て直して、
"自分らしく"生きてる人はいる、
それができる人だって、確かにいるんだから、
自分にも、"自分らしく生きること"は、できるはずだって、
今からでもできるって、
思ってやるしかない。
結局、自分で決めて、やるしかない。
だって、
願う事は、第一歩だけど、
ただ願ってるだけで、
誰かが、全て満たされた場所に、連れてってくれる、なんて、
そんな甘い救いは、
所詮ないに等しいんだから。
ただ、
今から、振り返ると、
どうせわかってもらえない、
この人達はダメだ、
と、諦めたふりして、
周りの大人に、
心を閉ざして、
"自分"が傷つく事を、
自分自身で防ぐしか、
方法がないと、思っていた、
あの頃、
あの時、
たとえ、メチャメチャになってもいいから、
もっと、
私が何を考えて、どう思っていたのかを、
言葉でいっぱい、いっぱい、
伝えてみたら、
もっと、言葉でぶつかってみたら、
もしかしたら、
気づかなかったけど、実は側にいてくれたかもしれない人達と、
何か違った関係が、生まれたかもしれないな...って、
ふと思う事も、
あるんだ...
今日も、思いを聞いてくれてありがとうございました。
次回またご縁がある方は、
次回更新まで、
またね☆
※コメントにて、「私ごとシリーズ」(←w)書いてます。よろしければ、そちらもどうぞ、ですw