先日、こんなブログを見つけました。

日蓮正宗やめたかった。
でも出来なかった。
うちの父親も祖父も精神病を持っていて、自分は、昔からずっと苦労してきた。信心が嫌で嫌でたまらない。
住職に話をしたら、信心が足りないからだと、無責任に突き放された。
前々から、お寺に行くのは、
年1,2回。
やめたかったけど、辞めさせてもらえませんでした。


……という話。

はじめに、あなたが、
ものすごく嫌な思いを
したのですね。
申し訳ありませんでした。
信徒代表で、謝ります🙇‍♀
ご住職が、どのように話したのか
わかりませんが、
「信心が足りないからだ」
  
 の真意は、きっと、このようなことだと思います。
言いたかったことは、

仏様の前では、自分の欠点や罪障も隠せない


暗い場所では、
顔のシミやニキビは、
見えません

明るい光が当たれば、
シミやニキビはもちろん、
毛穴や肌のキメまで見えます。

それと同様、
仏様の前では、
自分の隠したいところも隠せない。
光が当たって、よ~く見えるようになる。
じゃあ、どうするの?
見せたくないし
コンプレックス、
悩み
もう嫌!
どうする?

その罪障(コンプレックス、悩み)をなくせるように、
自分が修業すること。
功徳を積むといいます。

そのために、
年に1,2回お寺に来たくらいでは、足りません。
仏道修行は、簡単なものではなく、
毎日毎日、
苦しいとき、
悲しいとき、
絶望して、
誰かに当たり散らしたくなるとき、
沢山の困難があります。

でも、それを乗り越えることで、
前世や現世で
積んでしまった罪障を消滅して、
信じられないような、
今までに味わったことのない
世界が、目の前に広がります。
これは、
やった人でないとわかりません。

やれる環境が整っているのに、
やらないいなんて、

当たりの宝くじを持ちながら、
それを持っているだけで、
お金に変えずに、
お金がない、お金がないと言っているようなものですよ。

そういう話も、
法華経の中にはあります。
またの機会に、アップしますね。

まずは、
南無妙法蓮華経
(なんみょうほうれんげきょう)
と、
唱えてみてください。