立正安国論では、
客と主人(日蓮大聖人)の問答という形で、話が進んでいきます。
前回の続きから
〔通訳〕 〔解説〕
わずかばかりの眼(まなこ)を開いて少し経文を開いてみるに、
御経文の上から、世の中を見てみると
世の民衆は、皆正法に背き、人々はことごとく悪法に帰依している。
民衆は、皆、正しい仏法ではなく、間違った悪い仏法、悪法を信仰している
故に、善神は国を捨てて去ってしまい、
だから、大梵天王・帝釈天王等の諸天善神の国土と民衆を守護する働きがなくなる。
善の神と、悪の神がいる。
善の神は、大梵天王や帝釈天王、大日天王などだが、善神は、妙法を法味としている、すなわち、下世話な言い方をすれば、妙法をご飯として食べて、力をだしているということ。
(話の出所は→金光明経より)
聖人ところを辞して帰ってこない
聖とは、耳の穴がよく通って、他の人よりもよく音声を聞ける人のこと。
世間においては、知徳にすぐれて万事に通達した、理想的人物のこと。こうした人物が、国を捨てれば国が乱れて治まらなくなる。
が、ここでは、仏法における聖人であり、仏の別号である。
世間の聖人が、国を去っても乱国になるが、ましてや、仏法の聖人、仏様が去った場合は、なおさら国が乱れて治まらなくなる。
このため、善神、聖人に代わって魔神・鬼神が来て、災が起こり、難が起こるのである。
魔とは、梵語で、
奪命、奪功徳、障げ、撹乱、破壊等と言う。
人命を奪ったり、幸福生活を破壊したり、病気を起こさせる等の働きをなす。
鬼とは、三悪道の一つである餓鬼界に具する働きで、人身に病気を引き起こしたり、国土にインフレを引き起こす。
このことは、声を大にして言わなければならないことであり、恐れなくてはならないことである。
次回は、
客の質問、
どうしてその様にハッキリと話ができるのか?
その様に言いきる理由は何か?
に対し、根拠を答える話です。