前回、タイトル《予言》で
立正安国論の始まり部分の解説を載せました。
今回は、続きです。




〔通訳〕           解説
主人(日蓮大聖人)の曰く。
自分は一人このことを愁いて、胸中に思い悩んでいたが、あなた(客)が来て共に嘆くので、これについて少々語り合おうと思う。

そもそも出家して仏道に入るものは、正法(しょうぼう)によって成仏を期(ご)するのである。
 正しい法によって、成し遂げる      

しかるに今や神術も叶わず仏の威徳による験(しるし)も現れない。
 中国の陰陽道や日本の神道等の祭祇もかなわず、阿弥陀仏の名号を唱え、薬師如来に祈り、仁王講を修する、あるいは加持祈禱や座禅を組むなど、ありとあらゆる仏教諸宗の祈りを行っても、何ら威力が顕れず、全く災難がおさまらない
 
つぶさに現在の世の中のあり様を見ると民衆は愚かにして後輩としての疑いを起こしている。
 

しかして天を仰いでは恨みを呑み、地に伏しては深く憂慮に沈んでいる。

わずかばかりの眼(まなこ)を開いて少し経文を開いてみるに、世の中の民衆は皆正法に背き人はことごとく悪法に帰依している。
ゆえに善神は国を捨てて去ってしまい、聖人はところを辞して帰ってこない。
このため善神、聖人に代わって魔神、鬼神が来て災が起こり難が起こるのである。
このことは、声を大にして言わなければならないことであり、恐れなくてはならないことである。


最後の通訳部分は、
次回、解説します。