mixi 移行っす

つっても活動はあまりしないが
思いのほか忙殺されててPCになかなか触れない・・・

かねがね、自分が文学部を目指していることに少し負い目を感じてた
文学部というと哲学とかなんかそんな感じのイメージで、そういう頭のなかだけでこねくり回したような学問(事実はどうであれイメージで)を修めたところで、実社会に役立つものでもない。

またひょっとしたら、論理の張り巡らされた論文であっても、物理学でその運動の根拠を数式に求めるように実世界にその根拠を求めることはできない

だから「あー昔の偉い人はそんな風な考え方したんだね(それが事実かどうかは分からないけど)」的なノリで、完全に実益無視な感じになるんだろう


と、思ってたら古本屋で見つけた茂木健一郎さんの「思考の補助線」の最初らへんを読んで、その愚かな考え方をしていた自分が恥ずかしくなった



どうやら数式ではなく、言葉で述べることは「曖昧」と捉えられるが、その「曖昧」は決してマイナスの意味を持つ「曖昧」ではないらしい


この時代に生きている人なら大抵そうだと思うけど、科学優位主義にとらわれすぎてたんだなーとつくづく思った


『脳の様々な仕組みはどんどん解明されてきているものの、どういうメカニズムで「心」が生じるのかは分からない』といったことが書いてあった


科学が進歩するほどに理系科目におけるような「厳密さ」や「整合性」の権威が大きくなっている
しかしその「厳密さ」「整合性」が主流の分野でも、「心」は容易に解明できない

今までどんどん成果を出す理系分野に文系分野は(考え方も含めて)圧迫されていると思ってたが、あらゆる自然法則を数式にして解明してきた科学が、その自然の営みの一部である人間の頭の中については、きれいさっぱり解決とすることはできない

これは「心」でもって言葉で表すというのは意外にも科学にとって脅威にすらなるんじゃないか?と衝撃を受けた


[昔の頭のいい人が、「この運動には規則性があるんじゃないか・・?」と思って研究した結果、ある公式が発見された] 
このようにして発見された公式だって「この運動には~」の時点では「心」が何らかの働きをしているはずだ。しかしそれを数式であらわすことも出来なければ完全に解明することもできない(今のところ)



自分が突き進むことに負い目を感じていた学問の分野は、自分が畏怖すら感じていた学問の分野に堂々と聳え立ってた

まあ実際専門的に学んだら、自分が思う以上に観念的なだけの話じゃないとは思うけどね

茂木さんも言ってたけど、理系文系なんて人為的な組み分けだし、そもそも二項対立的に考えるのもおかしな話なんだけどね



まだちょっとしか読んでないから、内容の取り違えでこの記事全部書き変えなきゃいけないほどの勘違いをしてるかもしれないけど、思ったことをメモしたかっただけなのでご容赦を・・・(^▽^;)



あー、短期間だけど色々あって
大分体制的には確立されてきた・・・

今日から予備校に自習だけだけど通い始め、なんか高校受験前にひたむきにやってた頃を思い出した

夏休みに毎日13時間塾にこもり続けた時の感じだ

気持ちはピリッとしててどんどん先に進めたいけど、ここでやりたいだけやってもすぐに失速するのは分かってる。


今日は寝て明日のモチベーションに繋げることを考えよう

おやすみなさいー


iPhoneからの投稿