味わうこと、感じることって
とってもたいせつだな、だいすきだなって
感じる一方で、




一喜一憂しないということは
とってもだいじだなぁと
わたしは思っていて、
ドラマの中に入り込まず、
落ちついて物事を見るということは
ものすごくだいじなこと。○










わたしはもろにHSP体質な人間なので 
いろんなものを人一倍敏感に感じとりやすくて、
たいせつな人がしんどそうな時や、
目に見えないピリピリとした空気でさえも、
それが気にかかってしょうがなかったり、
いっしょになって引っぱられてしまう 
傾向があった。以前はね。




それって、まわりがどうとかじゃない。
しっかりグラウンディングして
自分がしっかり立つ強さを養うだけ。
ひとりひとりがしっかり立ってこそ支え合える。





あらためて思ってね、
いっしょになって悩んだり
心配するほうがラクなんだよ、
だって良い人でいるほうがラクだしね。
心配するってなんの覚悟もいらないしね。
だけど、それって本質的ではない。
 



本当は、心配する必要がないに
いきつくと思う。
「 なにも問題はない 」にいきつく。
なぜなら、人はそのときそのとき
必要なことしか起きていないから。
見えてる物事よりも、言ってる言葉よりも、
その後ろにある「 どうして( why ) 」を
考えたい。そうすると、ちょっとやさしくなれる。




だから、そうした上で、
目の前の人を信じる、
わたしはわたしで、
今このときを淡々と生きるということを選びたい。




自分を生きるということは、
あらためて、冷たいほどに、
わたしはわたしで、
線をひいてもいいんだなと思う。
そうすることは
冷たいことでもなんでもなく、
本当はものすごくあたたかいこと。 




わたしはわたし、あなたはあなた、
そのままを許しあい、
ただいっしょにいること。
それをほんとうにやることは
簡単なことじゃないけど、
自身の成長と共に、
すこしずつできるようになってきた。
その中身は愛。
それに気づくたび、今まで
受けとってきた、たくさんの愛に気づく。




「 境界線をだいじにする 」というのは、
共存する、いっしょに生きるという上で
とてもたいせつなこと。
それはついつい近くになりすぎる
パートナーや家族との関係においても
めちゃくちゃだいじ。




思いやりや、やさしさを
一番というほど、だいじにしてきた
わたしにとっては、
ここは勘違いをかなりしていた部分。
未来につながる考え方、
本当の思いやりって?やさしいって?と
仕事をしててもとても考えさせられます。




人の数だけ、やさしさの種類や捉え方があって
これという正解はないけれど、
在り方っていつも変化していけるし
更新、成長していける。










人はそれぞれ必要な経験をしている。
ただそれだけのこと。
わたしもそう。あの人もそう。




自分を生きるってゆうのは、
自分を信じる=人を信じること。





安心して、わたしはわたしを生きる。
今に集中して生きるって
安心してないとできないから。




そして、目の前にきたものを見て 
自分の中にあるものに気づいたら、
いらないものは軽やかに手放したらいい。




ここちいい世界を選んでいこうね .○* ○









今日もあなたとあなたの大切な人たちが
健やかで、おだやかな今日を生きられますように。
すてきな日を 。○*