相変わらず精神分析のセラピーは続いている。

今日は満月です。満月生まれなので

書きたくなりました。



進化成長したいという魂の欲求は

エゴ意識を通じて具現化されるが

その方向性は対極点によって表される。



例えば、進化成長の意図を意識しているか

否かにかかわらず

人生を動かし決定つけているのは

エゴでも性格でもなく

あくまでも魂なのです。

魂ってなんなのかなって

ずっと考えて連想していると

魂っていうのは冥王星のことだなと

もうそれしかない。



わたしのこの1ヶ月もエグかった。

心の深い部分から込み上げてくる声が

ぐわーーーと止まらない

そしてわたしはあることに

気づいてないことに気づいた


来月で精神分析が1年経つが

ずっとカウチに横臥して話したことは

込み上げてくる声というのは

不満だったんだと。


わたしは不満に感じていることを

知らず知らずのうちに抑圧していた

嫌なこと辛いこと恥ずかしいこと

葛藤していることなど

それらの不満を意識の外の無意識の世界に

押しこむことで、いろいろ考えた挙句

本来の自己を抑圧し

偽物の自己をつくる


わたしは不満を語っていたんだと

いうことを気づいてなかったんだって

不満、怒り、がっかり

わたしの中には悪いものだらけで

良いものがない

良い体験をしても、それが良いものだと

わたしはわかってないんじゃないか


耐え忍び苦しみ続けて

不満が最高潮になったら

深い部分から声が出てくる


良いっていうのは

いいなぁ〜っていう満足していることだと

思うから、それは死んだ世界から

生きてる世界はいいものなんだろうなっていう

夢のような夢を見ている感覚だった

わたしはまだ夢を見られていないことに

気がついて、そのことに気がつかないって

ことそのものが、本当の悲しみだなと。

新しいニューミーが生まれてくるでって

産みの苦しみは進化成長に繋がるんだろう。


問題の根源は、自分の外側に

自分を満足させるものや意味を

求めてしまうところにあるのだ。


あぁこの声は魂の雄叫びなんだなと

とんでもねー声だなと

思っていたら

わたしはある本を手に入れたのです


そこには、これまで自分が

丁寧にコツコツと自分と対話して

わたしのニーズはなんなんだろうか

という修行僧のような日々から

出てきた言葉たちを言語化できた時に

そのまんまその本に

ことかまかく書かれてあったのです。


ほとんど全部書いてある

これまでの努力はなんやったんや

ぶくぶく水の泡か

と思ったんですけど

その本を読んでると

魂の雄叫びが聞こえてなかったら

読んでもさっぱりわからないんだろうなと

今だから、サクサク入ってくるんだろうな。



良い悪い、神悪魔、善と悪は

同居している

良いエネルギーも悪いエネルギーも

完全に一緒に来ているから

どちらに感応するのかが

健康観であり人生観になる。

良いものに感応する人もいるし

悪いものに感応する人もいるし

全く同じものだった

宇宙エネルギーは縦横無尽に動いているので

その中でいろいろ溜まってきた

ものの中の一番最低ラインの

わかりやすいものだけ集めて

これでオッケーですよっていうのが

正しさやルール。

善も悪もエネルギー的には同じもの。

この世は物質主義なので

物質社会に辿り着いたときに

何かを描かれるのをただ待っている

白紙状態ではなく

全部あるところに生を受けてるので

それを使うか使わないかは別として

全部あるから何もないんやでって

気がついてくるんだけど

物質主義は、必ず何か悪いものを

取り上げちゃ、こうだから悪くなった

ああだから悪くなったって言うけども

裏をかえしたら

悪だとされていることの中に

貧しい不幸があるけれど

病気で苦しんだから

素晴らしい人間になった人もいるし

苦しむことを悪くとって

ひがみっぽく被害的になれば

どうしようもない犯罪者になる人もいる

善も悪も、幸福も不幸も

本人の捉え方なんです。


わたしはとにかく

なんの意図もなく自由に連想してたら

不満を語っていて

わたしのこころの中の悪いものを

外に出して、共にいる先生に

抱えてもらった

とりあえず部屋のそこに置いといた

そうすると、良いものもないんだって

気がついた。


人は不満に気づきながらも

できるだけ気づかないフリをしながら

誤魔化しながら生きている

その声は何度も湧き上がり

自分に訴えかけてくる。

それは、まだわたしになってない私からの

声であり、魂の雄叫びであり

それを見て見ぬふりで

押さえているうちに心が鈍感になり

やがて聞こえなくなると

理由のない不安やいら立ちや

悩みとなって表れるのだ。


精神分析では、この不満が出てくることが

次へ進展するようです。


不満は使い道があったのです。


だけど、手に入れた本には

自分がどんなことに不満を感じるか

について、しっかり書かれていて

わたしは次の切符を手に入れたのでした。


我々がいま生まれて生きている状態は、


演劇の中のようなもので、


我々の本体がそれを見ているようだと、


シェイクスピアも言っているけど



生と死の世界が


ひっくりかえるんだろうなと


冥王星は破壊と再生なので


死んで生まれるので


精神分析のセラピーの舞台は


自己から離れて自己を眺めるというような、


死の世界の側から仮に人生を見たら


どう見えるのか、という


究極の客観視かもしれない。





ノットミーがニューミーに。


Love❤️