心のチャンピオンベルトを巻け!!
今から約24年前の1992年3月26日
西島洋介山が後楽園ホールでプロボクサーとしてデビューをした日だ。
"山"は何故付いたのか!?
これには色んな説(話)がある。
山のように大きな男になれ!
とか
洋介の介という漢字は下に流れてるから山で下の流れを止めるために!
(勿論、このような意味もあるのだろう)
等だが
あれは確か私が埼玉県の上尾丸山公園を師匠と走っていた時のことだ。
健康のためであろう、
そこでおばちゃん達が二人歩いていたのだ。
おばちゃん達は、高校生である私の事を指差して
「あの人大きいね~。力士?何をしている人?」
と師匠に訪ねてきた。
師匠は
「そう、彼はこれから力士になるんだよ!応援してよ。宜しく!」
と答えていたと記憶する。
と同時にピンと来たと察する。
力士には力道山を始め何人かの山の付いた力士がいるのは事実である。
力士!?
山!?
洋介!?
洋介山!!
ムムム!!!
と閃いたかは本人でないと分からないが、私はこの時の閃きで洋介山が誕生したと考える。
私は中学生の時、父がTVで観ていた
マイク・タイソン
対
ラリー・ホームズ
の試合をたまたま横で観ていた。
「二人とも同じ顔しとるの~、どっちがどっちか分からんわ」と広島県広島市佐伯区緑ヶ丘と広島市西区井口に住んで学んだ広島弁で呟いた。
次にタイソンの試合をTVで観たのが東京ドームで行ったトニー・タップス戦 だった。
この試合の時は「相手はえらいデブじゃの~」と思ったのは事実である。
がしかし
4年か5年後その
タップスと同じ場所で練習をする事になるとはo(T□T)o
その時、私はクロアチアからやって来たアマチュアのチャンピオンと良く練習をしていた。
奴は250パウンド以上あり、私は200パウンド弱だ。
しかも私が年下と知り相手はヘッドギアも付けずに本気で襲いかかってきた。
相手が大きいだけに結構苦戦した。
そのクロアチアのアマチュアチャンピオンをトニー・タップスはボテボテした身体で遊んでいるかのようにあしらっていた。
「タイソンと戦った時は弱く見えたのに、こいつ、強い(-。-;)」
※余談だが1993年、Heavy Weight "super fight"tournament1993にワンディ トーナメントが行われ両者が決勝で戦っている。
そして次にタイソンの試合を観たのが世紀の一戦
マイク・タイソン
VS
マイケル・スピンクス
だ!!!
タイソンVSホームズ戦、そしてタップス戦ではワクワクしなかったが、この世紀の一戦は興奮した!!!!
すぐに天井からぶら下がっている電気の紐をスリッピングバッグの代わりにし頭を動かすと同時にパンチを紐に目掛けて放った。
気分は
マイク・タイソンだ!!!!
この時から
「どうせやるならヘビー級!宇宙一強くなりたい!!」と
ヘビー級で最強になりたいと思い体重を増やし始めたのだ。
この時が中学三年の夏前だった。
100キロになったらボクシングジムに入門をしようと決めたのもこのときだった。
私は食いまくった。
母が「学校のカバンには弁当箱しか入ってない」
と悲しんだ。
ゴメン。
2016年3月24日
マスターにし(西島洋介)
西島洋介山が後楽園ホールでプロボクサーとしてデビューをした日だ。
"山"は何故付いたのか!?
これには色んな説(話)がある。
山のように大きな男になれ!
とか
洋介の介という漢字は下に流れてるから山で下の流れを止めるために!
(勿論、このような意味もあるのだろう)
等だが
あれは確か私が埼玉県の上尾丸山公園を師匠と走っていた時のことだ。
健康のためであろう、
そこでおばちゃん達が二人歩いていたのだ。
おばちゃん達は、高校生である私の事を指差して
「あの人大きいね~。力士?何をしている人?」
と師匠に訪ねてきた。
師匠は
「そう、彼はこれから力士になるんだよ!応援してよ。宜しく!」
と答えていたと記憶する。
と同時にピンと来たと察する。
力士には力道山を始め何人かの山の付いた力士がいるのは事実である。
力士!?
山!?
洋介!?
洋介山!!
ムムム!!!
と閃いたかは本人でないと分からないが、私はこの時の閃きで洋介山が誕生したと考える。
私は中学生の時、父がTVで観ていた
マイク・タイソン
対
ラリー・ホームズ
の試合をたまたま横で観ていた。
「二人とも同じ顔しとるの~、どっちがどっちか分からんわ」と広島県広島市佐伯区緑ヶ丘と広島市西区井口に住んで学んだ広島弁で呟いた。
次にタイソンの試合をTVで観たのが東京ドームで行ったトニー・タップス戦 だった。
この試合の時は「相手はえらいデブじゃの~」と思ったのは事実である。
がしかし
4年か5年後その
タップスと同じ場所で練習をする事になるとはo(T□T)o
その時、私はクロアチアからやって来たアマチュアのチャンピオンと良く練習をしていた。
奴は250パウンド以上あり、私は200パウンド弱だ。
しかも私が年下と知り相手はヘッドギアも付けずに本気で襲いかかってきた。
相手が大きいだけに結構苦戦した。
そのクロアチアのアマチュアチャンピオンをトニー・タップスはボテボテした身体で遊んでいるかのようにあしらっていた。
「タイソンと戦った時は弱く見えたのに、こいつ、強い(-。-;)」
※余談だが1993年、Heavy Weight "super fight"tournament1993にワンディ トーナメントが行われ両者が決勝で戦っている。
そして次にタイソンの試合を観たのが世紀の一戦
マイク・タイソン
VS
マイケル・スピンクス
だ!!!
タイソンVSホームズ戦、そしてタップス戦ではワクワクしなかったが、この世紀の一戦は興奮した!!!!
すぐに天井からぶら下がっている電気の紐をスリッピングバッグの代わりにし頭を動かすと同時にパンチを紐に目掛けて放った。
気分は
マイク・タイソンだ!!!!
この時から
「どうせやるならヘビー級!宇宙一強くなりたい!!」と
ヘビー級で最強になりたいと思い体重を増やし始めたのだ。
この時が中学三年の夏前だった。
100キロになったらボクシングジムに入門をしようと決めたのもこのときだった。
私は食いまくった。
母が「学校のカバンには弁当箱しか入ってない」
と悲しんだ。
ゴメン。
2016年3月24日
マスターにし(西島洋介)