18歳で退所し、初一人暮らしの場所は千葉県船橋市の新京成高根公団でした。
高根公団のアパートは園長の知人が管理している物件で園長が保証人になってくれると言うことで約4年くらい過ごしました。
駅から歩いて15分くらいの2階建の小さなアパートの1階に住んでいて家賃は47000円で今住んでる所よりも14000円も高い物件でした (笑)
高根公団駅を降りるとデイリーヤマザキがあり、いつも話を聞いてくれるパートタイムの女性従業員が居たり、大きなスーパーもあり、駅から少し歩くと安くて美味しい惣菜屋、一人暮らしを心配し前を通る度に果物をくれた老舗の青果店で名物店員「Kちゃん」が居たり、アパートの近くには病院の院長が運営している牧場があり、窓を開ける度に牛糞の匂いが風に漂い臭かったなと懐かしさを覚える街でもありました。
初就職先
「東京納品代行株式会社」
は通っていた高校に求人があり、アパレル業界に興味があったので就職を決めた会社です。
東京納品代行と言う会社は各営業所内倉庫で商品管理、検品、発送、配送まで一手に引き受けていた会社です。
ファッションを心で運ぶとトラックにステッカーを貼り付けて都心をよく走っていたのが記憶にあります。
初任給は福利厚生引かれて約16万円でした。
高校生の時、約2年間バーミヤンでのアルバイト経験がありましたが、やはり一般企業で働くのはもの凄く大変でした。
バーミヤンは
週2日1日8時間 時給720円で働いていました。
Aスタと言われる麺類全般を担当しながら、各ポジションから提供される料理をセットし、フロントに依頼する仕事をしてました。
施設に居るときは行動範囲に制限、限りがあり、世の中で起きていることがわからない事だらけだった為、見るもの触れるものが全て新鮮に感じ行動範囲が広がった事で
働いてお金を稼ぐ=生活をするではなく
楽してお金を稼ぐ=遊ぶことに真剣になるになっていました。
一人暮らしを始めた事でお金、時間の制限も無くなり、自由になった事で完全に世の中を舐めていました。
東京納品代行も最初は
東雲センター
本社購買部葛西臨海センターと 3つ移動しましたが働く事より遊びたいが勝ってしまい約1年半年を経験し退職をしました。
日本のことわざで
「石の上にも3年」と言うことわざがありますが、33歳の私が18歳の自分にもし何か言えるならば遊ぶことも欲しいものを買うにしろ、仕事することが大事だ!
若さで色々興味出る事は良いことだけど、もう少し仕事に向き合えよと言いたいですね。