大王位を下りた飯豊はある日、脇田の工房に真玖根を訪ねます。

そして、それまでの秘めた想いを・・・・。

ちょっと長いですが一気に!・・・・。

 

終章

 

 うららかな春の日差しに誘われるかのように馬に跨り、

ゆっくりと野を行く一人の女性の姿があった。

その馬はやがて脇田の鉄工房の前で歩みを止め、

そこに降り立った彼女は、躊躇することなく、工房の中へと入っていくのだった。

「真玖根はいますか?」

「あ、飯豊大王さま!」

 工房で働く職人たちは皆一斉に手を止め、その場にひれ伏した。

「私はもう大王ではありませんよ。どうぞ仕事を続けて下さい」

飯豊はそう言いながら、懐かしそうに工房内を見渡した。

「ああ、あの時と何も変わっていない・・・」

やがて奥から現れた真玖根も、驚きを隠しきれず、

ただただひれ伏すのだった。

「真玖根、元気でしたか。

久しぶりにそなたが鉄を打つ姿が見たくなってここに立ち寄ったのです」

「何を仰せになります。ここは大王、いやひめみこがおいでになるようなところではございません」

真玖根もすでにいい歳である。

白髪交じりの頭を昔と同じように粗末な頭巾が覆っていたが、

鉄を打つ両腕の筋肉は健在である。

「もう、以前のように朝から晩までというわけには参りません。

今は、若い衆に技を伝えるのが専ら私の仕事でございます」

「それでも、そなたが鉄を打つ姿が見てみたい」

飯豊が珍しく甘えるような声でそう懇願すると、

「それならば」といって真玖根は一人の若い工人に代わるように言い、

真っ赤な鉄の塊を叩き始める。

透き通った金属音とともに飛び散る火花を飯豊は、

かつての少女のような眼差しで見つめるのだった。

「ああ、そなたが叩く鉄の音を聞き、飛び散る火花の美しさを見ていると、

あの日に返ったような気がする」

「私が、ただひたすら鉄を打ち続けている間に、

ひめみこは大王になられ、どんどん遠いところへ行ってしまわれました」

「私はいつも忍海の民のことを想っていましたよ」

「いいえ、そういう意味ではございません。

私にとって、ますます遠いお方になってしまわれたということでございます」

真玖根は手を休め、まぶしそうに飯豊の顔を見上げながら言った。

「そなたの子らも、立派な大人になったことでしょうね」

「いいえ、奴はずっと独り身でございました・・・」

「真玖根、少し外の風にあたりましょう」

飯豊はそう言って真玖根を外へと誘った。

 

 葛城の山々は瑞々しい新緑に覆われ、

春の日差しを受けて眩いばかりに輝いている。

飯豊は翻る裳裾を気にするでもなく、

しばらくの間、心地よい風に当たっていたが、ふと真玖根の方を振り返ると、

「真玖根、今だから言えることですが、

私は何度もそなたの逞しい腕に抱かれたいと思ったことがあるのですよ」

「突然、なにを仰せで・・・」

「遠い昔のことです。

幼き頃はこの脇田で美しい火花を見るのが何よりもの楽しみでした。

それが何時しか、そなたの汗にまみれた体を見るのが密かな私の楽しみになっていたのです」

「なんと畏れ多いことを・・・」

「真玖根、こんな老婆になってしまった私だけど、

一度だけそなたのそのたくましい腕で抱きしめてはくれまいか」

「ひめみこ・・・・」

真玖根は一瞬躊躇したが、震える手で飯豊の体をひしと抱きしめたのだった。

「ひめみこ・・・こんなにお痩せになって・・・」

「ああ、これでもう思い残すことはありません。

この人生でたった一度だけ、男に抱かれたことがあった。

しかし、それは決して想い人ではなかった。

真玖根、今私は初めて想い人に抱かれたのです。うれしい・・・」

「ひめみこ・・・ひめみこ・・・」

                                  完

 

 

宮内庁も飯豊を天皇として扱っています(不即位天皇)

 

飯豊天皇埴口丘陵 

 

全長90mのかわいらしい前方後円墳です。

 

 

長らくのあいだこの拙ない小説にお付き合いいただき、

ありがとうございました。