すみません。昨日一時的に「あとがき」をアップしてしまいました。
「いいね」を頂いた5名の方にお詫び申し上げます。
9月1日に改めてアップさせていただきます。
ようやく弘計王が即位し、
飯豊は大王の重責から解放されます。
11-4
今ここでことを荒立てて命を落とすことは正直本意ではない」
と力なく言うのだった。
「されど、みすみす大王位を平群に渡すのは、
代々大王家に仕えてきた我々群臣にとっては耐えがたいこと。
ここは覚悟をお決め頂き、一気に平群一族をうち滅ぼしましょう」
若い金村は血気盛んである。もちろん彼に勝算はある。
平群に阿る群臣も、ただ時の流れでそうなったまでのことであり、
何よりも大伴と物部が手を組めば、向かうところ敵なしと踏んでいたからだ。
「大王は何と仰せになるだろうか・・・」
億計王の逡巡は止まらない。
しかし、弟の弘計王がようやく意を決したように言ったのは、
金村がこの日の説得を諦め、座を立とうとした時だった。
「兄上、あの縮見の館での決意を思い出してください。
あの時、小盾が平群の回し者であっても、
この時をおいて名乗り出る機会はないと覚悟したではないですか。
ここはこの金村に任せては」
「弟よ、ならばそなたが先に大王位を継ぐと名乗り出てはくれぬか。
私は怖くてならぬ」
臆病な億計王はそう言うしかなかった。
「兄上がそこまでおっしゃるのであれば我が先に立ちましょう」
「よくぞ、ご決断頂きました。それでは私が大王のお許しを頂きます」
そう言って、金村は意気揚々と大王の館へと向かったのだった。
そして、その一月後、大伴の兵は一気に平群一族をうち滅ぼし、
弟、弘計王はようやく、近飛鳥八釣宮(ちかつあすかのやつりのみや)で
即位するに至ったのである(顕宗天皇)。
時に西暦485年2月のことであった。
今回、参考にした書籍です。
この他にもユーチューブの動画に助けられました。
個人的に日本書記が飯豊を二王発見後すぐに崩御と
したのは、当時生前退位(譲位)という概念がなかったからでは
ないかと考えています。ですので、飯豊はまだ生きています!!
そして、いよいよ次回は最終回です!!