とはいえ、飯豊もうら若き女性、
その衝撃のほどはいかばかりであったか・・・。
亜麻那味の慰めの言葉が続きます。
そして飯豊はみ仏の教えにますます心酔していくのでした。
あと数回の連載の後、いよいよ飯豊は大王に!!
お楽しみに!
6-7
忍海の民が、昔のように飯豊を主と仰ぎながら
暮らせるようになったことに狂喜乱舞したことは言うまでもない。
「ひめみこ、もう何もおっしゃいますな。私まで悲しくなってしまいます」
脇田の亜麻那味の館である。
「実ははるか昔、私にも同じようなことがございました。
同じ百済から逃げてきた王家の末裔を名乗る男に。
そしてその時、私もひめみこと同じことを誓ったのでございます。
もう二度と男とは交わらぬと。そしてそれ以来、
私はシャーキヤムニ(釈迦牟尼)の教えに縋るようになったのです。
人生は決して思い通りにはなりません。
そして何故、人には苦しみが生まれるのでしょうか。
シャーキヤムニはこの理由を、「すべては移り変わるものである」
と説かれました。そして、これらを正しく理解すれば、
何事にも一喜一憂することなく、心が穏やかになる、
つまり、苦しみから解放されるのだと仰いました。
今、私たちはこの思いを同じくし、
世のために祈りを捧げていかなくてはならないのです。
そう、忍海の民、この倭国のためにも・・・」
「ありがとう亜麻那味、私はもはや誰も恨んではおりません。
そなたの言う通り、これからは
この国の民のために祈りを捧げることにしましょう。
亜麻那味、私を優しく抱いておくれ。
そなたの胸元だけが今の私にとって唯一の安寧の場所なのです」
稚武が大王となってから4年が過ぎていた。
蟻はすでにこの世を去っていたが、忍海には穏やかな日々が流れていた。
その間、稚武は積極果敢に倭国の勢力範囲を広げ、
東は武藏、西は肥の国に至るまでを制覇するに至っていた。
さきたま古墳群、稲荷山古墳から出土した金錯銘鉄剣
雄略天皇の名「稚加多支歯大王」が刻まれています!!