とにかく広大です。とてもすべてを見ることは出来ませんでしたが、

敷地内の建物などはすべてその場所にあったものだそうです。

 

 

 

甕棺

 

このような形で埋葬されていたそうです。

 

 

 

精霊が宿る柱

 

一見、のどかに見えますが・・・

 

戦乱が絶えない時期もあったようです。

 

3世紀の最盛期には1200人程度の人口があったと推定されています。

 

 

 

このような物見台は「敵」の襲来を早期に発見する上で重要だったと思われます。

 

700年近く栄えたとされていますが、

 

この吉野ケ里が魏志倭人伝にいうどの国だったのかは今なお不明です。

 

今回の王墓級の墳墓発掘で何か大きな発見があるのではないかと

期待しています!!!

それにしても実にいいタイミングで訪問することが出来ました!!