さて、まずは葛城市に向かいます。

伊丹空港から阿倍野橋行のリムジンバスに乘ったのはいいのですが、

出発直前になってから

「高速が事故渋滞で迂回運航するので1時間以上かかります」だと。

早く言ってよ!別ルートもあったのに!

通常30分ちょっとのところが実際、1時間5分かかってしまいました。

結局、近鉄阿倍野橋発9:50の急行にタッチの差で乗れず。

9:54発の準急で尺土へ。最初の目的地、近鉄新庄には30分遅れで到着。

取材時間は1時間半となってしまいました。

とにかくまずは飯豊天皇陵を目指します。

 

田んぼでは稲刈りが始まっていました。

 

葛城の山々

 

そして見えてきました 北花内大塚古墳(伝飯豊天皇陵)

 

比較的小さな前方後円墳なのですが・・・

 

宮内庁の立て札にも飯豊天皇!!「陵」の字は原則天皇と皇后にしか使いません!

 

この飯豊天皇、実は歴代には数えられていません。名前は飯豊青皇女 女性です!!

 

履中天皇、或いは市辺押磐皇子の娘とされています。

 

周濠もしっかり残っています。

 

左が前方部です。

 

古墳のスペックは丘長:90メートル 後円部 直径:50メートル

前方部 幅:70メートル 円筒、形象埴輪あり。主体部は不明

反正天皇陵のように前方部の方が幅広です。

 

記紀には清寧天皇崩御前後、雄略天皇の追捕を逃れていた飯豊の弟、オケ王とヲケ王を

見つけて呼び戻し、大王位につけようとしたのですが、二人が譲り合って即位せず、

その間、この飯豊青皇女が政務を摂ったとされています。

在位期間については諸説まちまちで、日本書紀によれば1年足らず。

とはいえ、我が国最初の女帝であった可能性があるのです。

記紀の記述上も陵墓の扱いも完全に天皇なのですが、何故か歴代に入っていません。

一生独身を通し、巫女的な雰囲気も漂います。

実はこの謎多き女性の一生を小説化しようと思っています!!

今回はそのための取材!

そう、古代妄想ここに極まれり!!

 

ということで、次はこの飯豊の宮があったとされる地を目指します。