朝方、藤井寺の駅を出てからどれほど時間がたったことでしょう。

昼も食べずに安閑天皇陵までやってきました。

 

今どき歩いていたら完全に干からびてしまいます。ここから北上することになります。

 

今回は太い道路に面していました。 天皇は「陵」 皇女は「墓」、使い分けています。

 

天皇陵の拝所周辺には日陰というものありません。とにかく暑い!!

 

少しだけ拝所周辺を歩いてみます。

 

 

前方部から後円部を見る

 

例によって周りには家が密集 

 

まず古墳のスペックから

 

墳丘長 122m 前方部高 12.5m 後円部高 13m 後円部径 78m

築造は6世紀初頭 被葬者は安閑天皇と異母妹の神前皇女

円筒埴輪の出土が確認されています。

 

第27代安閑天皇は継体天皇の第一皇子で、宣化、欽明天皇の兄。

名は勾大兄皇子(まがりのおおえ)    

和風謚号は広国押建金日命(ひろくにおしたけのかなひのみこと)

皇子はいなかったため、皇后や皇妃のために屯倉(天皇の直轄地)を

増やしたとあります。

 

さきたま古墳群と多摩川台古墳群のところでお話した武蔵国造の乱は

まさにこの安閑天皇の治世下でのことでした。

この時もうまいこと仲裁に入り、当事者双方と応援して敗北した上毛野氏

から屯倉を確保しています。

過日訪れた高碕の保渡田古墳群はまさにこの上毛野氏のものと言われています。

そう、私が行くところはすべて話がつながっているのです!!

 

さて、次の目的地はいよいよこの日の目玉、応神天皇陵なのですが、

さすがに疲れ、タクシーで行こうと思い、とりあえず古市駅まで歩きました。

しばし喫茶店で休憩の後、

タクシー乗り場で並んでいると次々とおばあさんがやってきて、

ついつい先を譲ってしまいました。そして私の番が来たとたん、

ピタッと来なくなりました(笑)。

それならバスという手もあると思い、近くに止まっていたバスの運転士に、

「応神天皇陵まで行きたいのですが、どのバスに乗ったらいいですか?」

すると、

「あんなところ通るバスなんかあったかいなあ」との返事。

CM風に「それならいいです」と踵を返そうとすると、

バスに乗っていたおばはんが、わざわざ前まで来て、

「あんなとこ10分も歩けば着くでえ。すぐそこや」

と教えてくれました。

確かに10分は無理にしても15分で「後円部」にたどり着くことはわかっていたのですが・・・。

 

結局、このやりとりに勇気づけられて再び歩くこととしました。

ただし、歩いたおかげでその手前にある大きな古墳を見ることが出来ました。

 

まだまだ古墳探訪は続きます。