止観行と内観術の違い

 

 

仏教では、自分の内面を観ずること、

自分との対話を行うための瞑想のような修行があります。

これらを総称して、止観行と呼んでいます。

 

 

止観行は、止と観の二つに分けられます。

「止」とは、心の動揺をとどめて

精神を一点に集中することです。

一方で、「観」とは、心の動きを観察することにより、

心の縁起をたどり、悩みの根本原因を探ることです。

 

 

ヨーガの瞑想法などでは、

先の「止」と「観」を

同時に行うことが多いようです。

 

 

ですので、この二つが明確に

区別されていないことがあります。

本来は、二つのことを別々に行っているので、

きちんとした止観行を行うことは、

少し難しくなります。

 

 

また、全てを心身の内面で、

行ってしまうことは難しいです。

人間の心は、一点に集中し続けるには、

多少なりに訓練が必要になります。

 

 

最初は、精度が悪くて、

縁起を辿っていくうちに、

あまり関係のないような考えに

たどり着いてしまいます。

 

 

また、同じような言葉の繰り返ししまい

今ある問題の深いところまで、

心の動きを観察することができないこともあります。

 

 

そうすると、現実でも、

同じような問題が続いてしまい、

瞑想による効果を

うまく感じることができません

 

 

ですので、内観術においては、

集中が切れてしまうことを前提にして、

途中で声や文章にして

内面の心情などを書き出すことにより、

切れてしまった途中から続けることもできます。

また、休憩もできます(笑)

 

 

そうすれば、瞑想において、

心の内面では、心身の動きを観察するとともに、

その動きを細やかに感じたり、

見ていくという精神的な作業を

行いやすくなります。