大きな「法」を拠り所にすることによって、

考え方がブレなくなり、

大きな視野と小さな視野の切替ができると、

物事に柔軟に対処できるようになる。

 

 

仏教で、「法」という言葉には、

特別な意味があります。

人間の体がある限りは、

この「法」というものから逃げられません。

 

 

ですので、この「法」というのは、

絶対的な真理を指すことになります。

 

 

これは、誰かの都合によって、

書き換えられたりするものではなく、

何人(どんな存在)でも

書き換えができないものになります。

 

 

少し、分かりやすく言えば、

一日は24時間であり、

地球の自転の周期が決まっています。

 

 

誰かの都合で、25時間になったり、

ちょっと長くなったり、短くなったり、

はしないのです。

 

 

これが、起こってしまうと、

世の中が大変なことになります。

ひょっとしたら、存在自体が、

曖昧なものになってしまうかもしれません。

 

 

また、スマホの電波も、

電波の仕組みが決まっているので、

一定の施設を利用して使うことができます。

しかし、誰かの都合で、公式を変えてしまったら、

大混乱が起きてしまいます。

 

 

お釈迦様は、こうのような真理があることを

自覚したために、悟りの境地に至ることができました。

 

 

三宝印(諸法無我、諸行無常、涅槃寂静)のような教えは、

仏教の中でも根本的な教えになるために、

他の教えを紐解く際に、基盤となる考え方になります。

 

 

初めに、この根本的な教え、

中核となる教えを押さえておくと、

他の教えを理解しやすくなります。

 

 

何らかの教えを理解するにも、

その根本となる考え方が重要です。

 

 

根本から派生した考え方も

始まりが分かっていなければ、

表面的なことに振り回されてしまいます。

 

 

逆に根本となる考え方を

しっかりと押さえておけば、

自ずと他の考え方にも

応用が効くようになります。

 

 

芯がしっかりとしていれば、

視野の切替ができるようになり、

どんな状況にも落ち着いて

対処ができるようになります。