仏教では、迷いというのは、

煩悩によって起こると言われています。

 

 

では、煩悩というのは、何でしょうか?

これは、私たちの心を乱す原因となる

妄念や想念になります。

 

 

誤解を恐れずに言ってしまえば、

私たちが持っている欲望の全てになります。

 

 

欲望というと、少しネガティブな

イメージが強いかもしれません。

しかし、仏教では、

この気持ちは、菩提に至るきっかけに

なると言われています。

 

 

というのも、欲求というのは、

掘り下げてみてみると、

他人への愛情の表現なのです。

ちょっと、話が飛んでしまいました。

 

 

順を追って説明したいと思います。

例えば、相手がいつも自分の話を聞いてくれない。

という怒りがあったとします。

 

 

表面上は、相手に対しての怒りでいっぱいです。

あの人は、私のことをないがしろにしている。

大切にしていない。

または、バカにしている。見下している。など。

相手に対して、自分の感情を伝えることで、

精一杯になっています。

 

 

それは、相手に対する好意や興味の

裏返しだったりします。

赤の他人に対しては、そこまで言おうとしなかったり、

感情的になることはないと思います。

 

 

相手に対する興味や関心が高いほど、

その人の態度や言動が許せなくなります。

 

 

つまり、その心の奥には、

その人に対して、自分の何かを分かって欲しい。

という気持ちの現れになっています。

 

 

その気持ちは、自分が相手のことを考えている。

大事にしている。重要だと思っている。

労力を割いている。時間をかけている。

真剣に考えているなどがあると思います。

 

 

その気持ちが、心の奥底にあるので、

それほどの怒りの感情が湧いてくるのです。

 

 

怒りの感情が強ければ強いほど、

相手に対する真剣さが大きいのです。

 

 

煩悩があってこそ、

悩みや苦しみ、迷いが生じることになります。