仏教の基本がわかると、

メンタルコントロールの基本が分かる。

苦しみを癒す方法は、

今も昔も変わらないので・・・

 

 

仏教に三相という考え方があります。

三相とは、全ての存在および物事は、

無常・苦・無我であるという思想です。

 

 

古代仏教の経典である

法句経(ダンマパダ)の中に、

三相についての記載があります。

 

 

一切の形成されたものは「無常」である。

一切の形成されたものは「苦」である。

一切の事物は「無我」である。

(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E7%9B%B8_(%E4%BB%8F%E6%95%99)より抜粋)

 

 

また、「無常、苦、無我」という

三つの要素をより深く理解している状態が、

智恵をもっている状態です。

そして、その状態で自身の内面を観ずることで、

清浄への道が開くことができます。

 

 

世の中の全てのものは、

常に変化をし続けて、ぱっと見は、

同一のものであり続けているようでも、

内面は、刻一刻と動き続けています。

 

 

そして、個人が認識しているようなレベルで

世の中か都合よく動いている訳ではありません。

自然のルールによって、私たちがての届かない根底で、

それは粛々と動き続けています。

 

 

私たちは、自身のことをどんな人間かと説明するときに、

例えば、明るい、面白い、大人しい、優しい、など、

思いつく印象を並べていきます。

 

 

この時に、「明るい人間」はどんな人間なのかというと、

場の雰囲気と良くしてくれる。周りの人に声がけをしてくれる。

いつも表情が朗らかなど、思いつくでしょう。

 

 

けれども、明るいという定義は、

それだけでは存在することができません。

必ず何らかの比較対象がいるはずです。

 

 

明るい人とは、それを説明しようとする人の中で、

知らず知らずのうちに誰かと比べて、明るい。

誰かと比べて、表情が朗らか、などで判断しているはずです。

 

 

ですので、”明るい”という感覚は、

それだけでは存在ができないのです。

 

 

ですので、諸法無我の言葉が示すように、

私たちが考えていることは、

それ自体だけでは、存在できないことばかりなのです。

 

 

自身の内面を観ずる時には、今、説明をした

「無常・苦・無我」の考え方が基本となります。

 

 

そうすることで、

自分のなかに起こる情動と、

目の前で起こっている現象を

分けて考えることがやりやすくなります。

 

 

欲求や怒り、傲慢さに囚われてしまい、

情動の赴くまま行動したのでは、

心の安らぎはいつまで経っても得られません。

 

 

もちろん、一時的には、

そういった感情に浸ることはできるかもしれませんが、

次の瞬間には、違う情動に振り回されることになります。

 

 

まず最初に、自分の身を焼き焦がすような情動と、

目の前に起こっている現象の鎖を断つことによって、

より深く自分の内面を観ずることができるようになります。