日本人が持つ侘び寂びという美意識。

その根底にあるものは・・・

 

 

日本庭園などを見て、「

「侘び寂び」とうのは、日本人特有の美意識を指す言葉だそうです。

また、「侘び」と「寂び」は、元々は別の意味があります。

 

 

”「侘び」は、寂れや汚れを受け入れようとする内面的な豊さを指します。

一方で、「寂び」は、経年変化による汚れや欠けを劣化とみなさず、

その変化が織りなす独特の風合いなどの、「見た目の美しさ」を指しています。”

(言葉の手帳、「侘び寂びの使い方、意味・・・から引用)

 

 

華美で豪勢なモノも目が引かれます。

侘び寂びの心があることによって、

質素で物静かな様子も楽しむことができます。

 

 

侘びというのは、最初は、

「思うことが叶わずに悲しむこと、気落ちすること。」など、

否定的な意味で使われることが多かったようです。

 

 

その後、時代が経つに連れて、

不足な状態を楽しむ心の余裕を表すようにもなります。

 

 

侘びというと、無駄なモノを省き、その物事が滞りなく、

進んでいる様子も表していると、個人的に思っていました。

不十分なあり方を楽しむ、不足の美を表現するなど、

侘びについて、説明することが多いようです。

 

 

また、「寂び」とういうのは、

時間が経って古びていく様子を見た時に感じる感情であり、

もの哀しさを表しています。

この表現は、仏教の諸行無常の概念や、「もののあはれ」の意味にも通じています。

世の中のものは絶えず移り変わり、一瞬として同じものはない。

私たちは、そのことをもの哀しく感じている。

 

 

そのような世の中の真理に対して、、

私たち人の身では、思い及ばない理に、

無常さや美しさを感じていたのかもしれません。

 

 

無駄なモノを削っていき、行き着いたその先に、

世の中の真理を見出し、その美しさに心を動かされていました。

そうゆう心の幅広さや奥行きを持てばもつほど、

心安らぐことができるようになります。