煩悩と執着の関係

執着とは、煩悩に囚われている心の状態、

なので、一切の煩悩から解き放たれるためには・・・

 

 

また、煩悩とは、

「心身にまといつき心をかき乱す、一切の妄念・欲望」

(Oxford Languages)とあります。

 

 

ここで、欲望というのは、

「不足を感じてこれを満たそうと望むこと。また、その心。」の意です。

 

 

ここで、不足を感じて・・とあります。

私たちは、何に対して、不足感を感じてしまうのでしょうか?

 

 

その多くは、分かって欲しいや、理解して欲しいなどの

”承認欲求”に依存していることが多いようです。

 

 

例えば、職場における人間関係の場合には、

「私がこれだけ頑張っているのに、分かってくれない。」

「私がこれだけ我慢しているのに、理解してもらえない。」

など、心の声を飲み込んでしまっていると、

何かの発端で、トラブルになってしまうこともあります。

 

 

承認欲求も煩悩の一つなのです。

けれども、そういった煩悩を保つことがいけないことはありません。

少なからず濃くいった気持ちの裏には、

相手に対する「思いやり」の心が潜んでいます。

 

 

しかし、「分かって欲しい。」という気持ちにこだわってしまいます。

そうすると、相手のことを考える余裕がなくなってしまい、

自分の気持ちを一方的に押し付けてしまっています。

つまり、煩悩という欲求に囚われている”執着”がある状態になります。

 

 

また、仮に、煩悩を全て無くしてしまえば、

何のために生きているのか、分からなくなってしまうでしょう。

 

 

では、悩みをなくすためにどうしたら良いのか?

これが問題になってくると思います。

これは、煩悩に囚われている執着の状態から、

自分を解き放ってあげれば良いのです。

 

 

また、相手に対して、自分の気持ちを全て

思い通りに伝えることができれば、

人間関係も複雑になることもありません。

 

 

しかし、言葉はそこまで万能ではないのです。

一から十まで全部思っていることを、

正確に伝えようと思っていたら、

必ず言葉足らずになってしまいます。

 

 

また、言ってしまえば、自分自身も自分のことを

全て分かっているわけではないからです。

 

 

ですので、執着から離れるには。

相手に対する自身の”視点”を変えていけば良いのです。

 

 

例えば、この場合は、

相手に対して「分かって欲しい」という自分ではなく、

相手のことを「受け入れてている。」という自分に視点を変えていきます。

 

 

これが出来るようになっていれば、

相手に対する見方も変わっています。

なぜなら、「他人は自分の鏡」だからです。

 

 

”自分に対する許容度”を上げていけば、

それに連れて、他人に対する許容度を上がります。

 

 

この自己許容度をあげるほど、

人間関係のトラブルに不安もなくなっていきます。

最初に向き合うべきは、結局は、自分自身なのです。

それによって、自身に”光明”を得ることができます。