十二縁起の因果律、苦しみから解放されるために、、、

その根本を断ち切る方法

実は、私たち自身の苦しみの原因になるのは・・・

 

 

仏教の基本的な教えの中に、

「十二因縁(十二縁起)」という言葉があります。

 

 

フリー百科事典のWikipediaから引用すると、

これは、現実の人生における苦悩の根源を断つことによって、

苦悩を滅するための12の条件を体系化したもの」とあります。

十二因縁は、無明を根本原因とする12の項目から成り立っています。

 

 

ちなみに、十二因縁は、元々は、

縁起や因縁という概念から成り立っています。

 

 

縁起というのは、仏教においては、

「すべての現象は、条件や原因が相互に関係しあって、

成立しているものであって独立依存のものではない。

また、条件や原因が無くなってしまえば、

その結果も自ずから無くなってしまう。」

という意味があります。

 

 

さらに、因縁というのは、

物事の全ては、その起源(=因)と、果を結ばせる作用(=縁)によって、

定められているということ。転じて、物事の持っている定まった運命。」とあります。

 

 

ですので、私たちを苦しめている原因となる執着の

原因とその繋がりを立つことにより、

苦しみを滅することができます。

 

 

わたしたちの苦しみの原因となる執着には、

いろいろなものがあります。

 

 

例えば、お金が欲しい。

人から褒めれれたい、

有名になりたい。

また、幸せになりたい。

大切にされたい。

豊にくらしたい。

健康でくらしたい。

などなど、です。

 

 

そして、大事なのは、

この欲求を手に入れるために、

私たちは、どのように考えているかどうかです。

 

 

お金が欲しい。とあれば、

お金を手に入れるためには、

一生懸命に仕事して、、、

危ない橋を何度も渡って、、、

効率良く仕事をして、、、

とか、その人の考え方があると思います。

お金を稼ぐに当たって、必要不可欠なことがあると考えています。

 

 

そして、上手くいっている時は良いのですが、

上手く行かなくなると、悩みや苦しみが出てきます。

 

 

上手く行かないのは、〇〇だからだ。

〇〇がなかったら、、、

〇〇さえ手に入れることができれば、、、

など考えているうちに、自分たちの”執着”が出てきてしまいます。

 

 

色んな苦労を乗り越えて、

ある時、もうだめだと思った時に、

ふと、自分は何をしているのだろうと感じます。

そこで、初めて、自分が本当に欲しかったものや、

最初に求めていたものに、気づくことがあります。

 

 

そもそも、なんの為にお金がほしかったのか?

元はと言えば、なんで有名になりたかったのか?

そんなことを考えるようになると、

私たちは、執着の原因を見つめるようになり、

迷いの霧を払うことが可能になります。

 

 

これは、仏教でいう瞑想の流れに似ています。

瞑想は雑念をどんどん払っていきます。

そして、最終的にのこっていくのは、

自分の存在や感覚になります。

それを、周りと一体に感じていくのです。

 

 

雑念を払っていけば、自分に残っている信念の

根幹となる思いを強く感じることができます。

 

 

その時に感じる感覚が、

自分の内なる大切な思いに気づくことに

近いことがあります。