万物流転、万物は流転する

諸行無常、人生は”はかなく虚しいもの”なのか?

 

 

諸行無常とは、仏教用語で、

「この世の万物は常に変化していて、

ほんの少しも止まることがないこと」

という意味になります。

 

 

また、同じような言葉に、

「万物流転」という言葉があります。

 

 

「万物は流転する」の意で、古代ギリシアの哲学者である

ヘラクレイトスによって、提唱された概念だそうです。

また、このヘラクレイトスは、

万物流転を「誰も同じ川に入ることができない。」という

言葉で表現をしたそうです。

 

 

ここで、思い出すのが、

日本の歌人であり、随筆家でもある

鴨長明が記した「方丈記」の冒頭の一節です。

以前にも、このブログで紹介しました。

 

 

「行く川の流れは絶えずして、

しかも元の水にはあらず。・・・」の部分です。

鴨長明が暮らしていた鎌倉時代には、

多くの天災が起こり、落胆している人も多かったのかもしれません。

そういった世の中の情勢をうけて、

人生の虚しさを表していると言われているそうです。

 

 

ここで、気を付けて欲しいのは、

諸行”無情”ではなく、諸行”無常”という字が使われていることです。

 

 

「無情」とは、ネット検索で調べてみると、

「思いやりがないこと、人間らしい感情がないこと」の意味です。

 

 

一方で、「無常」というのは、

「消滅変化して移り変わり、

しばらくも同じ状態に止まることがないこと」

の様を表しています。

 

 

ですので、諸行無常というのは、

物事の本来の姿は、ただ一瞬に成り立つだけのものであり、

常に、移り変わっていくものだと表す言葉になります。

 

 

万物流転もこれに当てはまります。

例えば、自然の営みは、

毎年、春夏秋冬と同じサイクルを繰り返します。

しかし、毎年同じように見えても、

何かが異なっており、一つとして同じ季節がないのです。

 

 

人は、完全なものにこだわることがあります。

執着によって、何かに心を強くひかれて、

凝り固まった考えに囚われてしまうことがあります。

 

 

けれども、その執着も、

諸行無常の理によれば、一瞬の仮の姿でしかないのです。

それに気づくことで、あなたを悩ます執着を手放すための

一助になることがあります。

 

 

○詳しくは、動画でどうぞ・・・