涅槃寂静、静かで安らかな心持ちでいること

私たちの悩みの種は、煩悩か無明か?

コロナ禍で、不安が大きくなったときに知ってべきこと

 

 

涅槃寂静(ねはんじゃくじょう)といのは、

仏教の用語で、「煩悩の炎が吹き消された

悟りの境地というのは、静かな安らかな境地である」

ということを指しています。

(出典:フリー百科事典「Wikipedia(ウィキペディア)」

 

 

では、「静かな安らかな境地」というのは、

どう言った心持ちをいうのでしょうか?

 

 

私たちは、普段の生活の中で、

大なり小なり、色んな悩みを持っています。

近所の人が口うるさい、

職場の上司が付き合いきれない、

部下が言うことを聞いてくれない、

恋人が分かってくれない、

など、人其々の悩みを持っていると思います。

 

 

それらの原因は何でしょうか?

 

 

相手のせい、自分のせい、

こうしてくれない、ああしてくれない

言うことを聞いてくれない、

見下されている、馬鹿にされる、

など、私たちは、ちょっとしたことでも、

思い浮かぶところが、たくさんあります。

 

 

そして、悩みの原因というのには、

必ず、煩悩というものがあります。

 

 

煩悩というのは、ざっくり言ってしまうと

相手や周りに対して、自分がこうありたい、

だったり、こうして欲しい、など、

自分の欲求に関するものです。

 

 

それに、私たち自身が気づかないうちは、

問題が解決することはありません。

この状態のことを、仏教では、

「無明」といいます。

 

 

ここで、「無明」とは、

「煩悩に囚われ、仏法の根本が理解出来ていない状態」です。

相手や、周りのことに囚われてしまい、

自分のことがはっきりと見えていない状態です。

 

 

私たちは、怒りや悲しみなどの強い感情によって、

我を失ってしまうこととがあります。

これも、本来の自分が見えなくなってしまっているので、

「無明」の状態ですね。

 

 

ですので、誤解を恐れずに、

簡単に言えば、悟りの状態というのは、

自分の感情に振り回されずに、

自分らしく振る舞っている、

その状態のことを示しています。

 

 

私たちは、自分のことは分かっているようでも、

深い部分では、勘違いしていたり、

蓋をしてしまっている部分があります。

 

 

そう言った部分にも、

どんどん焦点をあてていくことで、

本当の悩みというものが、

無くなっていきます。