他人に良くされる人、そうではない人の違いとは!?

自分はその相手の人たちのことをどう思っているのか?

 

 

相手の人のことを悪く思っていると、

そうのような人がと無意識で判断してしまうので、

その人の悪いところばかりが気になります。

さらには、相手をそのように扱ってしまうので、

余計にそういった態度が加速されてしまします。

 

 

その結果、お互いにとって、

あまり得にならない関係が続いてしまうことになります。

 

 

人間は意識していること以外には、

あまり気にすることはありません。

自分の情報の網に引っかかることがなくなります。

 

 

例えば、男性が結婚して、

子供ができると街にいる妊婦さんに

気が付くようになります。

それで、「最近、妊婦さんが街に増えたね。」

って思うようになります。

 

 

同じように、赤い車が欲しいと思うようになると、

街中で走っている赤い車に気づくようになり、

同じように、「赤い車って増えたね。最近、流行ってるんだね。」と

思ってしまうことがあります。

 

 

人間の意識に上がってくる情報は限られています。

というのも、周りから入ってきた情報を

全て処理しようとすれば、

脳に莫大な負担がかかってしまうそうです。

ですので、無意識というフィルタを通して、

必要な情報を分別しているのです。

 

 

先ほどの例に戻ります。

周りの人を嫌な奴らだ、とか、

気が利かないやつらだ、と思っていると、

それに準ずる情報が優先されて、

意識に処理されることになります。

 

 

そうすると、余計に周りの人たちが、

”悪いやつ”に見えるようになってしまいます。

 

 

ここで、気をつけて欲しいのは、

無理やりに、周りの人がいい人たちばかりと、

”思うようにしても”よい結果は得られません。

 

 

本音では、そうではないと思っているからです。

その結果、そう思えない自分に直面するので、

自分のことをダメだとか、性格が悪いと思うようになります。

そして、自分自身を抑え込んで過ごすことが当たり前になり、

余計に苦しくなってしまいます。

 

 

大切なのは、無理周りの人たちを認めることではありません。

そのままの姿をきちんと見て、向き合うことが必要になります。

普通はこれが大変なので、人間関係の問題がなくなりません。

 

 

ちゃんとした方法で、自分の心と向き合うことが必要なのです。

絶対的な世の中の法には逆らえません。

 

 

仏教には、”一念三千”という言葉があります。

これは、「日常の人の心の中には、

全宇宙の一切の事象が備わっている」ことを表しています。

 

 

なお、人が思う一念には、世の中の法が、

内含されているとう意味になります。

目には見えない理が、世の中には粛々と流れています。

 

 

自分の都合のいいように、何かを変えようとしても、

必ず、何らかのとばっちりをもらってしまいます。

 

 

結局は、自分自身と向き合うことが

一番の近道になります。