中学校時代にはパンク修理キットなど売っている訳もなく選択肢は少なかった。

1.5Km押して自転車屋へ行く

2.友達の自転車の荷台に乗ってパンクした自転車のハンドルを引いていく(学校に見つかると大目玉です)。

3.親の知り合いの軽トラで運んでもらう。

 

 しかし共働きの両親は帰るのも遅く頼めるのは難しかったので親父の丈夫な自転車(こち亀の両さんが乗ってたやつ。今なら人気があるんですがこの頃にはカブと一緒でおっさんの乗り物とバカにされた)を借りて週末までそれで通い(変速機も無いのでしんどかった)、土曜日(学校はこの年代は全て午前中のみの半日)に一旦帰宅してから押して持って行きました。一度2をやった時には先生に呼び出し食らって友達にも迷惑をかけたので1しかなかった。

 

 ま、結局押していったのはその1回のみでしたが、学校でパンクを発見したのもあるので自転車屋はパンク修理に数回持って行きました。その時に自転車屋のおっちゃんのやり方を見て見よう見まねでパンク修理を覚えました。

 

 娘、息子も中学校まで4km。結局6年間くらいパンク修理は自宅でしましたが息子の高校は少し遠いのでマウンテンタイプとなり下手に手を出さないようになりました。

 

 娘は大学時代パンク修理を(親父の見よう見まねで)自分でやっていたそうで友達の分も修理していたそうです。懐かしいなあ。