最近、ずっと考えている言葉がある。 それは「やすらぎ」と「走」。 仕事は相変わらず忙しく、 時間に追われ、体を使い、気を張り、 トイレに行く時間さえ削りながら一日を終えることも多い。 「もう帰りたい」「やっていけないかもしれない」 そんな言葉が、心の中をよく通り過ぎる。 それでも、 完全に折れてはいない自分がいる。 気づいたこと 私はずっと 「頑張る」「耐える」「合わせる」 で生きてきた。 でも最近、はっきりわかった。 癒しでは足りない。 必要なのは やすらぎ だと。 癒しは一時的なもの。 甘いもの、音楽、タバコ、少しの休息。 でも、やすらぎはもっと深いところにあって、 「生き方の姿勢」そのものだと思うようになった。 やすらぎは 急かされないこと 否定されないこと 役割を脱いでいい時間 そこから生まれる。 違和感を無視しない 職場で「利用者様はお客様」という言葉を聞くたび、 私は強い違和感を覚える。 利用者様も、私たちも、同じ“命”。 サービスを提供する側とされる側ではなく、 人と人が、命と命が向き合う場所であってほしい。 その違和感を 「私がおかしいのかな」と飲み込むのを そろそろやめてもいい気がしている。 踊りと音楽と、私 最近、音楽を聴いていると涙が出る。 特に、躍動感のある音。 よさこい、祭りの音、戦闘系BGM。 体が、魂が、動きたがっている。 寺院にいた頃、 怖さも不安も抱えたまま、 それでも踊れた日の動画が残っている。 あの時の私は、今見てもかっこいい。 過去の栄光かもしれないけれど、 「私は動ける」という証拠でもある。 全身じゃなくてもいい。 片手だけでも、音に乗れればいい。 踊りは、私にとって異世界への扉だ。 来年の一文字は「走」 来年の私の一文字は 「走」。 逃げるためじゃない。 無理に前に出るためでもない。 自分のリズムで、走る。 恐竜になって走る予定もあるし(笑) 会社以外の場所、 別のコミュニティで輝く準備もしたい。 今年は「走るための備えの年」。 来年は、実際に走り出す年。 今の私 今も不安はある。 胸がぎゅっとする夜もある。 「やっていけないかも」という声も消えない。 でも同時に、 やりたいことがある 違和感に気づけている 音に心が反応している それだけで、十分だと思っている。 完全じゃなくていい。 強くなくてもいい。 走りたい、と思えたこと自体が もう、走り出している証拠だから。 今夜は夜勤。 帰宅願望で暴れる方が居て、夜勤がまわるか不安。 ゆっくり支度して行こう。 今日も、わたし、お疲れ様。