懲戒請求裁判にどのような姿勢で臨むかが、一番大切になって来る。
過去における私の姿勢は、間違っていた。それは、相手の弁護士さん達の現象の現れを見て、それを変えようとしていたのだ。
この現象宇宙の仕組みは・・・・・・、『自分が宣言した通りに、信じた通りに、この現象世界は映し出される』ようになっている。
それなら、今自分が「何を宣言するか」・・・・が最も大切な事になる。
懲戒請求裁判は、人間智ではどうしようもないものがある事が、解って来た。
それは、私自身に極めて大きな霊的転機を与えることになった。
この事をきっかけとして、神が私を導いて下さったのだ。
1)神の御名を呼ぶ事
2)神と個人的且つ強固な友情を結ぶ事
3)「私は何であるか」と宣言する事(存在の実相を宣言する事)
とりあえずは以上の様な、重要なポイントを理解し実践する事にしよう。
3番目について書いて見る。
「私は神である」と宣言する事にしよう。
「存在の実相」は、全ては「神」であり、無限の存在であるから、その無限の世界から、今何を宣言するかにかかっている。
とりあえずは、「私は神である」と遠慮なく宣言してみる事にする。
それでは、「神とは一体どんな姿勢を持っているのか」知る必要がある。
『神との友情・下』の本の中に『神の姿勢』が書かれていたのでそれを参考にしよう。
(1)喜びに浸り
(2)愛に満ち溢れ
(3)全てを受け入れ
(4)祝福し
(5)感謝する
これが、「神の5つの姿勢」と書かれていた。
これは大いに参考にして、活用しよう。
この「神の姿勢」を懲戒請求裁判にも応用してみる。
この裁判の相手方弁護士、裁判官、懲戒請求下全ての人々に対して、私は次の様な姿勢で臨む事にした。
(1)この裁判と、全ての関係者を考える時、喜びに浸り
(2)愛に満ち溢れ
(3)全てを受け入れ
(4)全てを祝福し
(5)全てに感謝する
この「神の姿勢」で臨んでいる自分自身が今此処にいると、私は宣言する。
これがいい。
これで行くのだ。
この様な「神の姿勢」に気付かせてもらったのは、この懲戒請求裁判があったお陰だった。
だから、⑤心から感謝し、④この裁判の関係者全員を祝福し、③この裁判の全てを受け入れ、②この裁判関係者全員を愛して、①喜びに浸ることができる。
「神の5つの姿勢」を宣言すると、上の様な「神の姿勢に準じた心の結果⑤〜①」が、現れて来た。
『神との友情・下』の12章だったろうか、そこには、こう書かれていた。
《この「神の姿勢」を人生に適用すれば、神性に到達する。》と。
「神性に到達する」事は、人生の最大の目的だ。
その為に生きている。その為に、様々な人生問題に出会ってきた。
生長の家を長年学ばせてもらったのも、「神性に到達する」為だった。
生長の家の練成会というのがあるが、それは「神性開発練成会」と謳っている。
生長の家では、「神性が開発されれば、一切の人生問題は解決する」と言っているが、『神との友情』に書かれている事も、全く同じ事を言っていた。
両者は、同じなんだ。
結局、キリスト教も佛教も他の宗教も、他の哲学も様々な教えも、全ては、この「神性に到達する」為の一つの道だと言う事になる。その人の心境、思想、要求に応じて、様々な形で、「神性に到達する道」がこの世界には用意されているということになる。
だから、どの教えも、どの道も素晴らしい、それぞれの道を通りながら、結局は「神性に到達する」事にならざるを得ないのだ。
あまむし庵