何気ない日常、緩やかに落ちる陽射し。
桜が綺麗だな、なんて少し目を細めている。
どこに居ても、いつだって、何の兆候もなく、フッと頭をよぎる人が居る。
その度に急にいたたまれなくなる。
苦くて切ないフラッシュバック。
今だ尖った記憶の破片が心に突き刺さってくるように。

それがOさんだ。



僕とOさんの関係は長い。
長いと言っても、初めはただ何となく知ってる程度だったが、ある日を境に急に距離が縮まった。

悲しみの部屋の中で、たまたま2人きりになった時。
その人はポツリポツリと話し始めた。
写真立ての中の物言わず微笑む人に話しかけてるのか、と思った。
僕はあえて何も話さずに、ずっとその人が話すのを聞いていた。

辛い過去の話だった。

そして、その人の瞳からはいつの間にか涙が零れていた。
僕は何も言えなかった。
ただ、その人の涙が乾くまで、そばにいた。
どのくらいの時間だったろうか。
その人は、まだ赤く腫らした目で僕にこう言った。
「ごめんね」と。

それがOさんだった。

それからすぐに僕はOさんを好きになった。
決して器用ではないから、いつも段取り下手。
結局、いつも居残りになってしまう。
誰も居なくなった部屋でひとり机に向かう後ろ姿。
人一倍、寂しがり屋で怖がり屋のくせに。
僕はその理由を知っていたから。
Oさんが終わるまで、ずっと待っていた。

あの日、聞いた辛い過去の話。
どうしても蘇る。

外はしとしとと雨が降り続く。

雫がフロントガラスを涙のように伝う。


僕は仄暗い車内でOさんを抱きしめた。
抱きしめずにはいられなかった。
慌ててほどいた僕の腕には、Oさんの震えがまだ残酷なほど残っていた。
車の時計は21時を指していた。



とても優しい人だった。
辛い時ほどよく話す人だった。
明るく快活に笑う人だった。
打算も駆け引きも知っている人だった。
ある意味、とても素直な人だった。

それがOさんだった。



あれから幾度、桜は咲いては散り、歩道を埋め尽くし、
交わした会話の数だけ心を満たしながら
テキストと思い出だけが増えていった。

春夏秋冬。
季節は巡りゆき、また冬が来る。

底冷えのする朝に雪が降り積もり、
轍だけが取り残される。

許されない秘密とともに。

僕の過ちは消えることはない。