空気読むことってなんだろう?
いつから使い始められた言葉なんだろう?

周りの雰囲気を察知して、当たり障りのないように動くこと。
ということだろうか?

空気読めないことをKYと言ったり、「この人空気読めないんで、すみません。」と自分の意見を言うと周りにフォローされたり…

これってなんの文化なんだろう?
誰のために生きてるんだろう?

ドラマの凪のお暇にて、黒木華さん演じる主人公が「空気は読むものではなく、吸って吐くものです!」と言っていて、強く共感した!

周りに合わないと宇宙人扱いされるし、
自分の意見を言うとおかしいと言われるし、
なにかと空気を読めていなかったであろう私のこれまでの人生。
けれど、それでも、ある人に嫌われたくなくて
近い人の顔色をうかがって、こうしたら笑ってくれるかな?とか、こうしたら喜んでくれるかな?とか、自分の意思と違うことばかり繰り返して、ある日壊れた…。

自分の肯定感が急激に無くなり、生きていても心ここに在らず、なにも自分で決められない、なにも楽しくない、色も感じられず、味もしない、眠りも浅い、挙句の果てにはうつと言われ、病人扱いをされ、私のことを何も知らない医師から薬を処方され「お大事に」と言われた。

いやいやいやいや、違うから!ちゃんと理由もあるし、病気じゃないし、話ならいくらでも聞くから!と言ってくれた友人のおかげで、怪しい宗教にまで手を出して引きずり込まれようとしていたところを、助けてもらった。
ネットワークビジネスにも手を出して、洗脳されかけていたところを、「やめなさい!」って止めてもらえて、辞めることができた。

近くにいた人の多大なる影響により、中身からっぽ人間になっていた私は、その人からの否定により崩壊していったという過去。

けど、これって
自分の芯がブレブレだったから起こったことなんだって、今なら、ようやく今なら思える。

今なら、なにが大事か、自分の尊厳とはなにか?わかるから、どんなに近い人の言葉でも受け付けない強さが出来た。
もっとも、今近くにいる人は、私に対して優しいので、傷ついたと思うことはないけれど。

友達でも恋人でも、親でも、付き合う人は本当に選んだ方がいい!親は選べないから、距離感をとることも、自分の気持ちを洗いざらい書いたり信頼できる人に話したりして整理することも大事。
私はそれによって長年のわだかまりをクリアにできた。今は両親に感謝しています。

空気を読みながら
辛い思いをするくらいなら、
ひとりぼっちになってもいいから
自分らしく生きた方がいい。

でも、たいてい自分らしく生きている実感ができている頃には、仲間は必ずできている。
揺るぎない愛を持って接してくれる仲間が。

その時に娘がくれた手紙はいつまでも宝物。
「私はどんなお母さんでも、泣いていても笑っていても、全部大好きです。でも笑っていてくれるほうが嬉しいです。そのほうがお母さんに似合うから。」
小4の時の娘からの手紙。

空気は読むものではなく
吸って吐くものです!
私もその生き方に賛成します(﹡ˆ﹀ˆ﹡)♡