大学院のプログラムの一環で、裁判所へ法廷見学のため、本日、行ってきた。
こちらでは、とある民事事件の証拠調べを傍聴。
内容は、公開の法廷で行われるとはいえ、プライバシーに配慮する必要があるため書けない(検索されるかもいれないし)。
ただ、一方当事者側が本人訴訟(弁護士等、代理人をつけないで行う訴訟)という形態の事件であったので、そこでの裁判官からの求釈明がどのように行われるか興味があり、よく観察してみていた。
裁判後、私が見た事件を担当した裁判官と、座談会をする機会が設けられ、求釈明の際に気をつけるべき点を伺った。
どうやら、①高裁や最高裁からみて、裁判官の釈明義務が尽くされているか否かという観点と、②当事者の手続保障という観点が大切らしい。
神経を集中させ、様々なところに気を使いながら、求釈明を行っていらっしゃるんだなと感心した。
またその後、裁判所でも、検察庁への訪問のときと同様に懇親会という名目の飲み会が設けられ、学生9名に対して、裁判官が8名いらっしゃっていただいて、盛況であった。
裁判官のイメージも、変わった。なんだか、皆さん、懐が深い。日ごろ、様々な人間と関わるからか、検察官と比べて、何事も容れる裁量が広いといいますか、やはり、対立当事者の利益調整を常に心掛けているためか、バランスを自分の中で意識的に取っていることが伝わった。皆さん人がよい。法廷で、キチキチ手続について進めていく毅然とした感じとは、うってかわり、面白く、話しやすい。
また、話を伺って、民事事件においての和解の重要性も強く意識できた。民事裁判の目的は、第一に紛争解決。両当事者で、円満に紛争解決できればよいのだから、無理に強制力がある裁判所の判決で事件を解決しようすると、一方当事者に不利な内容になってしまい兼ねない。そうすると、その当事者の不満を買ってしまう場合が多い。和解で、互いに譲歩して、当事者の納得を得たうえでの紛争解決の方が、履行の期待も増すし、その後の社会生活にも良い影響を及ぼすのだそう。
ただ、裁判官側にとっては、和解に持っていくのも一苦労で両当事者の真ん中に立って調整役に徹しながら事件解決を模索していくため大変な力量が要求されるそう。多くの場合は裁判官側から妥協案を提供しながら、妥当な解決を模索していくことが必要だそう。
そんな裁判官の職務は、常に、机に向かってデスクワークオンリーだと考えていた、自分のステレオタイプでネガティブな見方とは、全く違うものであった。感動したなぁ。
まぁ、結局、受からないと何も始まらないことは痛感。裁判官に話を聞いても、「司法試験は、かなり苦労しました。今でも、司法試験受からないと、自分の人生は暗黒のままだという受験生のころの夢を見て、冷や汗かきながら、起きたりしますよ。起きて、あぁ、受かってて良かったなと思うんですけどね。」なんておっしゃる。
やばい。頑張らねば。。
このブログは自分のモチベーションアップのためにも使っているから、危機感を煽る意味でもここに記載。