声帯 | ビシ!!!車いす生活者膝下3センチからの目線~見るのは前を向くのは上を~

ビシ!!!車いす生活者膝下3センチからの目線~見るのは前を向くのは上を~

バスの中とかで前の人を見ると、車いすの視点では、ちょうど立ったっている方のおしりとか膝から下くらいなります
厳密に違いますが、膝下3センチという言葉の響き。
自分の視点だから気づけることを正直になるべくかくさないで書いていこう

もうけっこう前のニュースになりますが、

ブログに書くタイミングがなかったので、いまさらですが、


あのニュースについて書いてみようと思います。


つんくが、声帯を摘出したことが話題になりました。


よく、何かを失えば何かを得られるといいますが、

目が見えぬ代わりに耳が発達したり、

他の臓器が摘出した臓器の代わりをしたり、


逆説的に、何かを失ったからこそ何かを得たとこころから

思うのは、よほど確信を持ってないと、思えないことではないだろうか。


僕は生まれつき四肢麻痺なので、

いわゆる”障害者になった瞬間”というものがありません。

ものごごろついた時から、

自分は歩けないんだという感覚ではなく、

他の人は歩けるんだなとそういう感覚でした。


まっとうに生きていてもある日突然横っ面をはたかれるように、

すれ違いざまに瀕死寸前の強烈なラリアットを食らうような

人生を180度変えるような出来事。


大病や障害を受傷するといったこと。


そういうことが実際に起きたとき、


神は乗り越えられる試練しか与えないとか、


運命に選ばれたなんてのは、


最初のうちはクソクラエだと思うな。


それでも生きていかなければならないんだけれども、


だから、障害受容とか、運命とか試練とかはあんまり

個人的には好きでは無くて、こういったものに対して

真っ向からぶつかっていくのではなく、もっと違う視点で、

大きなものを切り崩してゆく、ゆっくりゆっくり分解してゆく、

そんな感覚を持っています。


どういうことが起きたって、横たわっているのは

何気ない日常だったり、たゆむことないルーティンだったりするわけで、


それでも時々、強烈なマインドセット持った人が現れて、

まざまざと生きる力を見せつけられたとき、


かなわねえなって思う。


自分にしかできない事、自分だからこそできること。

それが必ずあると確信する人生観と、

誰かが励ましのコメント出していましたが、


つんくはきっとそれを見つけるでしょう。


そして今はわかんないけど、

俺にもきっとそれはあるんだ。