何も起きていない、何もされちゃいない。
ただ自分が思い込んでいるだけ。
朝起きて仕事に行って飯食って帰ってきて、ブログ書いて、ラジオ聞いて、メールの返事して、寝る
この繰り返し。
変わったと思っては、また少し引き戻されて根っこのところは変わっていないと思ってしまう。
いつも実家にいながら、自宅の事を考え、友達と笑いながら、明日のことを不安に思う。
そんな夜なのに明るい白夜ずっと歩いているような感覚。
そんな繰り返しの日々に閉塞感を抱いていたのが今まで。
でもちょっとよく考えてごらんよ。
かつては非日常だったことも日常になってるでしょうよ。
それに何をするにしたってルーティンは避けられない。
一人暮らしできるなんて、思ってもみなかったし、
こんなに自分の思いを打ち明けられると思わなかったし、
大事にされてるなんて感覚味わったこともなかったし、
こんなに多くの人との出会いがあると思ってなかったし、
だいたい相手とか他人は直接的には何もしてないんだよ。
相手の行為とか態度を通して、自分の気づいていない良さに気づいたり、
劣等感が炙り出されたと思ったり、傷つけてしまったり、そう感じているだけ。
僕が外出する時、いろんな人と関わらざるを得ないけど、
横柄な態度を取られてもいい心構えでいるけど、
予想に反して、丁寧だったりここまでしてくれちゃっていいのかって恐縮しちゃうこと。
いっぱいあったでしょ。
それは、運がいいとか相手が素晴らしいとか長い事思ってたけれども、
きっとそれだけではなくて、僕がどうというわけでもなくて、その場のいろんな事が重なり合ってそうなるということ。
今ちょうど橋の真ん中あたりいて、引き返すのは嫌、前に進むのは怖くて怖くてたまらない。
頑張らなくてもいいといわれるともっと頑張らなきゃいけないんですと思うし、頑張れ!と言われると
次の扉あけようとしないでおくれ、怖いからねって思う。
じっとしてればお腹は減って弱っていくし、
横を向いたら他人が気になる。
上を向いたって、プレゼントなんか降ってこない。
でも分かった事腑に落ちたことがいくつかはある。
色んな意味で、不安定、土台が危うい世の中を
自分らしく生きていこうと思えば、思い、信念、哲学がないと
振り落とされてしまうということ。
人生万事塞翁が馬ってこと。
自分の人生を生きている大人がたくさんいること。
縁の大事さ。
自己開示。
伝えること。
純粋であること。
直感を信じること。
だから、
評論したり、傍観したり、諦観したり、達観したり、責めたり、自分をないがしろにしたり、
しないで、
ちゃんと自分の人生の渦中にいてあがいて、あがいて、
家族のためでも、師匠ためでも、見てくれる人のためでもなく、
自分自身のために、
自分の人生のメインストリームを歩いていくのです。
だからやっぱり、
前を向くしかないのです。進んでいくしかないのです。
想像の段階では、
何も起きちゃいない。何もされちゃいない。