数年前のことだけど、鳥に怒られました。…なんて違うと思うけど、買い物?に出かけようと玄関を出たら、プランターに30センチくらいの黄緑色の鳥がいて、50センチくらいの
近距離から私に向かって、ものすごく必死な感じでピーピーピーと何回も鳴いたのです。
私は訳が分からず、えー!???と見つめたけど、出かけなきゃいけないし、どうしたらいいかわからないし、ごめーんとその場を立ち去り、用事を終えて帰って来たら、その鳥が同じ場所で横たわっていたのです。え?何があったの?問うてみても鳥はもう動かず…。      これはどういうことなの?亡き骸を紙に包んで庭に埋めてあげたけど…。
娘にこの事を話したら、親鳥で自分の雛を助けてもらいたくて、人間に助けを求めることつてあるらしいよ…と。でも何で死んじゃってるの?家に猫はいるけど、傷もなく、羽根も散らかってなかった。本当にどういうことだったんろう?

人のせいにすることで、あなたは自分の人生を生き苦しいものとしています。
全ては自分の為にあることと捉えれば、ようやく幸せの花が咲き始めます。

この宇宙の負や正のエネルギー法則はすでに在る。完璧に秩序だっている宇宙、
私達が悪を自ら作り出しているのではないと思う。
私達の無知が悪という法則を作用させている、具現化させているのだと思う。
その作用を受けながら人は動いている。  ということは悪人、否定されるべき人間などいないということ?
7、8年前のマイノートを開いてみた。
いじめについて…その当時の状況と今はそんなに変わっていないように思う。…なので
そのまま記そうと思う。
いじめによる自殺     それに伴う学校側の対応の悪さ。どうしても「いじめ」と認めたくない先生方、これらに関していろいろなコメンテーターが意見を述べている。
もちろんいじめられた側に大きなポイントを置き、どうしたら気ずいてあげられるのか、
守ってあげられるのか、フォローしてあげられるのか、様々な角度から真剣に討論がなされていた…。
しかし不思議なのはいじめられた側にだけスポットを当てていること要はいじめた側にあるというのに…。どうしていじめたいという心がうまれるのか、その子が育った環境等
じっくりと見つめ(プライベートに関わることだから難しいとも思うけど)その原因を探る必要があるのだと思う。

いじめたいという気持ちは自分の弱さをカバーする為に、他の人を傷つけることによって
相手より上に立つという征圧感を感じ、安心するということなのだろうか?
自分の弱さ…(いじめる側はこれを弱さと認識していないだろうけど)
弱さとは…不足感、満たされていない感、それを補おうとして、負のエネルギーで満たそうとする行為なのでしょうか。
それではどうしてエネルギー不足を感じるのでしょう。シンプルな捉え方をすれば、やはり大人に充分に愛されていない、受け入れてもらえないという愛のエネルギー不足による
ものだと思う。
人間つて不誠実な事をやったり、考えたりすれば、ちゃんと心が痛むようにできている。
本人が無自覚だとしても。

時代劇を見ていて、戦う事を美化しているよなと思った
そこから悲劇、不幸が生まれるのに…。戦う事はかっこいいことじゃない、相手を理解していない状況
戦うという事は互いに心を閉じあって傷つけ合うということ。

信じきらない。
信じきらないという事は、自分が不完全な身であることを深く自覚するということ。(顕在意識の中において)そこから学びがあり、救いの道がある。

枝葉で生きればすれ違いが多区なる。幹を意識し近いところに生きていればすれ違いは少なく、共感、共時性を感じることが多くなる。

興味あるものに出会えて初めて才能が開花する。
ワクワクするもの、情熱が持てるもの、これは本当の自分から発せられたもの。
テレビをみていたら、盗賊カモメという鳥がピックアップされていた。他の鳥が捕まえた
餌を横取りして食べる習性がある。
餌を取られた鳥はどんな気持ちなんだろう …。「せっかく獲ったのになんて奴!許せない」なんて思うのだろうか?思わないと思う(ちょっとぐらい思う?)ただただその現実を受け入れて次の餌を探しに行くんだろうなぁ。
横取りしたカモメもただただそこに餌があるから生きる為に獲っただけのこと、それが当たり前…。これが自然界なんだろうね絵。人間にもちょっとはこんな要素があったら、世の中変わっていただろうね。そもそも「許せない」という気持ちを持つのは人間だけ?