認知神経科学17
情動・感情5
ソマティック・マーカー仮説
眼窩前頭前皮質
前回までは、
意識的に制御されないレベルの
情動処理として、
扁桃体と脳内報酬系について説明しました。
今回は、意識的に制御できる情動過程として
前頭葉の前頭前野における処理について説明します。
そのことを通して、
情動が認知処理に与える影響について
お話ししたいと思います。
20世紀、認知の研究は、
すでに行われてきていましたが、
感情の心理学的な研究は遅れていました。
Izardによれば、感情研究が始まったのは
1980年代ということになります。
その感情研究のきっかけとなったのが、
神経科学者のダマジオDamasioが提唱した
Somatic Marker仮説:ソマティック・マーカー仮説です。
ダマジオが調べたのは、
前頭前野腹内側皮質の損傷患者たちでした。
以前お話しした通り、
どこか特定の脳部位を損傷することによって、
その部位が担っていた特定の機能が失われ、
その人の行動に何らかの変化が生じます。
その行動変化を観察することで、
その脳部位がどういう機能を持っているか
ということが理解できます。
前頭前野腹内側皮質は、
眼窩前頭前皮質とも言われます。
腹内側なので、脳底部の内側よりの部位ですし、
また眼窩というのは目の後ろを意味しますので、
両目それぞれのすぐ後ろあたりの
前頭葉を指しています。
例えば、何らかの勝負をして、
負けてしまう、という経験をしたとします。
前頭前野背外側皮質が失われていないので、
知的能力は失われていません。
だから、負けたという事実は認識できます。
しかし、前頭前野腹内側皮質が失われているので、
悔しさやダメだなどといった
罪悪感や罰感情を感じられません。
よって、何度も同じ負け方、
何度も同じ過ちを繰り返してしまいます。
そのたびに、負けたこと自体は理解できるのに、
悪いと思えないので、
次も同じ失敗をしてしまうわけです。
このようになると、人間関係や社会的判断、
日常の通常的な意思決定ができなくなり、
家族や友達を失い、仕事を失います。
よって社会人として生きていくことができなくなります。
前頭前野腹内側皮質の機能を
分かりやすく示したものに、
アイオワ・ギャンブル・ゲームがあります。
この実験には、
2グループの被験者が存在します。
1つは、健常者、
もう1つは、前頭前野腹内側皮質損傷患者のグループです。
実験では、4組(ABCD)の
カードの山が使われます。
あらかじめ被験者に2000ドルが渡され、
被験者は、損失を最小に、
収入を最大にするように指示されます。
被験者は、4組のカードから、
1枚ずつカードをひいていきます。
あるカードをひいたときは収入が増え、
あるカードをひいたときは損失が増えます。
実際のところは、
AとBをひけば、
100ドルもらえますが、
時に1250ドルを失います。
これらは、ハイリスク・ハイリターンです。
CとDをひけば、
50ドルしかもらえませんが、
時に100ドルしか失いません。
これらは、ローリスク・ローリターンです。
通常は、後者を選び、
リスクを避けるようになるわけです。
なぜなら、ABを選び続ければ、
破産してしまうわけで、
収入は少ないけれども
CDを地道に選んだほうが結果的に儲かるからです。
実験の結果、
健常者は、始めは4組すべてをとりますが、
ABがハイリスクであることを知ると、
その後はCDだけを選ぶようになります。
だから、破産はしませんでした。
しかし、腹内側損傷患者は、
最初は健常者と同じくすべてをとり、
同じようにABをとって損失を経験しますが、
そこでCDだけを選ぶようにはならず、
ずっとABを好んで選ぶようになります。
結果的に破産してしまいました。
このように、前頭前野腹内側皮質がないと、
損した!やってしまった!という感情がなくなり、
損失を避けるようにできなくなります。
だから、どれだけ理性が働いていても、
罰感情がないので、
賢い意思決定はできなくなってしまうのです。
理性と感情は排反ではありません。
ソマティック・マーカー仮説では、
情動刺激を受けると、
ソマティック反応という、
身体的反応が生じて、
それが自分にとって不利益な行動を除外し、
正しい意思決定を補助すると考えます。
正しい意思決定とは、
最少罰、最大報酬をもたらす
行動を行うということです。
だから、考えて分かったのではなくて、
嫌だなと感じたからその行動をやめたわけです。
そのときに、身体反応が脳に対してあり、
それを受けて脳は、
正しい意思決定を行えるようにしたのです。
よって、損失をもたらしたときに、
身体から脳への信号があるはずです。
それを調べるために、
アイオワ・ギャンブル・ゲームをしているときに、
各被験者から皮膚電位反応GSRを測定しました。
結果、健常者からは、
ABのカードをめくるときに、
GSRが上昇したのに対して、
損傷患者は、どのカードをめくるときも
GSRに変化はありませんでした。
したがって、前頭前野腹内側皮質を損傷すると、
ソマティック反応が消失し、
刺激の感情評価を行えなくなり、
結果的に損失を大きくする行動を
抑制することができなくなると考えられました。
このように、理性システムと平行して、
感情システムが働かないと
社会的に適切な判断を行い、
社会的に生きていくことができなくなります。
理性と感情は、お互いに支え合って働くシステムで、
そのどちらもが社会的に適切な行動のために
不可欠なシステムであると言えます。
今回まで情動・感情についてお話ししました。
次回からは、動機づけについてです。