広原月子。
同じ学校の生徒をして、「博覧強記のマシンガントーク女」、「赤い魔女」などと言わしめる、強烈な個性の持ち主です。
外見は、小柄で、黄色の髪をツインテールにし、眼鏡を掛け、改造制服を着ているといったものです。
初めは、もう本当にイロモノだと感じましたし、彼女が披露する社会学や心理学、法学の知識も、軽く本を読めば書いてあるような浅い話に思えたのです(そうでなければ、このゲームのメインターゲットである学生など若い人の支持を得ないでしょうが)。
だから以前に感想を書いた時は、やや彼女の話す内容について否定的な書き方をしました。
しかし、興味の赴くままに様々な文化系の部活・同好会を設立し、部室に入り浸って自由自適の大学生のような生活をしているところは、私がもう既に二十代でなくとも、羨ましく感じられました。
これだけ行動力や、他人にどう思われようと気にしない確固たる自我があったら良かったのに、と思ったのです。
月子の趣味に自分と似たものを感じたというか、衣装を自作すること以外は、オカルトも先に述べた心理学等の話も、政治問題も、アニメ等のサブカルチャーも全て、かつて自分が関心を持った範囲のことでした。
彼女は偽名でニュースサイトを運営しているといった一面も持っていますが、そういうものも私は読む側ではあったけれど、楽しくはありました。
そればかりでなく、話の中でアングラなこともしていることも匂わせていました。
このような多趣味(というか、変わっている)の彼女の止まないお喋りとそのディープな内容に辟易した主人公に、「お前、オタクみたいだな」と言われて、
「みたいじゃなくて、私はオタクよ」
と当然に返し、そればかりか、「オタクといっても最近の軟派なオタクとは私は違う」とまで言ったところに衝撃を受けました。
自分もここまでに清々しくあれたら、と。
他者に媚びることなく、同類とも強いて交わろうとするのでもなく、ただ自分の知識欲や表現欲のために生きていけたら気持ちいいだろうなと思ったのですよ。
しかし彼女は反面、失っているものも確かにあると自分は思います。
その一つが、女性として(恋愛対象として)認識されることではないかと。
彼女は主人公に牛丼を奢って貰いますが、それも気があるからではなく、よくて友人だからということだろうと思うし、彼女の方も単にお腹が空いたから、たかったという描写になっています。
その牛丼屋での話もまた、私にとっては非常に印象に残るものでした。
どうして、そんなに趣味に対してバイタリティがあるのかと主人公に問われた月子は、それが人生を楽しむということだと思うから、と答えます。
更に、元を辿れば、多趣味だったのは亡くなった昔の友人であり、自分はその後を追っているのだという話もします。
生きられなかった幼馴染の男の子の代わりに、その子の分まで人生を楽しみ尽くしているのだと。
生き急いでいるくらいだと自嘲しながら。
正直これ、高校生くらいの年齢設定の人、しかもネタキャラに言わせるような台詞ではないと思いましたが……、逆にそれ故に重みがあって心に残りました。
自分勝手に生きているような人にも、人生の信条とそれに至る思い入れがあるのだと。
矜持を感じる生き方ですね。
こんなゲームから影響を受けたのが馬鹿らしいと言う人もいるかもしれませんが、私は月子に出会ってから、自分の趣味とか人と違うところをそこまで恥ずかしいと思わないようにしよう、と思えるようになりました。
たとえ話が合わなくても馬鹿にされても構わないし、分かってくれそうな人の前で素直な自分でいようと。
もっと早くそう思える勇気があればとも思うけれど、月子ほど思い切りの良い人もそうそういないでしょうし、他者を気にするところも悪いところではないのだろうと思うことにしています。
とはいうものの、一年弱経過して、月子のように生きられているかといえば、そうでもないです。
しかし前より創作活動や自分が持つオタク趣味に対して、素直で無理なくいられているとも思います。
絵も前より描けるようになったし、発言もできるようになりました。
強いて話したくない時は黙っていられるようにもなったと思います。
自分にとって、一歩踏み出すために、月子のような突き抜けたキャラが必要な時だったのでしょうね。
こんなゲームから影響を受けたと言っては、「何々は文学」と言っているような人と変わりがないのかもしれないし、かつて自分はそういう人を批判的に見ていましたが、そのようなことも確かにある、のかもしれません。
私も博覧強記と言われてみたいものだな……(まだ程遠い)。