○前進
ボランティアセンターを出てからは、東松島市に向かい前進。
ボランティアが被災地の中で一番集まっているという石巻市内は、
まだまだ復興には程遠いものの、他の場所に比べると、復興が早いように感じました。
その後は暑さにばてながら、進んでいくと、夕方には東松島市に突入!
45号線沿いからみた東松島市は何もなくなっていました。
東松島市は被災地の中で復興が一番遅れているという話を聞きましたが、そういわれてみればなにもなくてそんな感じだなという感じでした。
○素敵人・あべしげさん
その後は夜になり、雨が降ってきたので、一時間程コンビニの前で雨宿りしていると、
この日東松島市であえることになっていたあべしげさん(61)が連絡をくれあべしげさんと合流!
あべしげさんは、仕事は大工をやっていて、趣味では旅が好きでバックパッカーや旅人をやっていた方。
そんなあべしげさんと合流し、現在あべしげさんが住む仮設住宅に伺わせてもらい、震災、東松島、旅、アジアの話など色々と話すことができました。
震災時の話が一番印象深かったというか、衝撃をうけた話でした。
あべしげさんは、東松島市でも特に被害が大きかった野蒜に住んでいた方で、
その日は仕事で家からは離れていたのですが、地震がおき家が心配で家に帰ってしまったとのことでした。
すると、その直後津波がきて、急いで二階に逃げたものの家は津波に流されてしまったとのことでした。
二階に逃げたものの津波の影響で、タンスなどのものに足を挟まれてしまったあべしげさんは、動けなくなってしまったとのことでした。
なんども他の流れてきた家に押しつぶされそうになったり、動けない状況で海水が胸まで来て本当に死んだかと思ったとのことでした。
しかし、あべしげさんは足の筋肉を切断してしまったもののどうにか津波から逃げ切れ生き延びれたとのことでした。
津波から逃げたあとあべしげさんは、空腹をみたすために道に落ちている食料や流れてくる冷蔵庫に入っている食料を食べ飢えをしのいだとのことでした。
話を聞いていると、九死に一生で本当にすさまじい話だと思いました。
しかし、あべしげさんはすごく前向きで、バックパッカーで旅をしたりしてきた分、ある程度の苦しい状況は大丈夫だと思ったし、生き延びていく事もできると思ったという話をしてくれました。
あべしげさんは、家も車もなにもかもなくしてしまいましたが、仮設住宅にただで住めてありがたいとか、生き延びれた事に感謝したりとか、なくなったものはまた作ればいいとといったりとか、これからの人生もっと楽しんでいこうと、すごく前向きに考えられていて、
本当に素晴らしい方でした。
僕もこういう風に強く生きれる人間になりたいと思わされました。
その後も色々話し、この日は0時頃就寝。
以上です。
地震に関する支援・ボランティア・情報は日本赤十字社
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