○出発
この日は昼頃道の駅さんりくを出発!
この日も出発早々山道でした。
それも相当長い坂道が続き萎えました。
10キロほど山道を走ると大船渡市内につきました。
45号線沿いからみた大船渡市は他の市に比べるとまだましなのかなという感じがしましたが、
低めの山を上り、その山頂から大船渡市内を見てみると、やはりかなりの被害を受けていると感じました。
その後も相変わらずの山道を上り下りしていくと陸前高田市に到着しました。
陸前高田市内に入ると、壮絶な光景が広がっていました。
というより、本当になにもないという状況でした。
悲しいとかすごいとかじゃなくて、自然の脅威、自分の無力さを感じ、呆然としてしまい、…という感じでした。
しかし、よく考えてみれば陸前高田市はなんにもなくなってしまっている分、いったん壊れてしまった建物を壊し何もなくしてから復興を始めていかなければならない釜石市などと比べると、
見た目的にはひどいものの復興は早く進んでいくのではないかと思いました。
○さようなら岩手、こんにちは宮城
その後も相変わらずの山を上り続け、夕方には宮城県気仙沼市に突入!
岩手の皆さん。本当にありがとうございました。
震災で大変にも関わらず、皆さん本当に暖かく、そんな暖かさにふれ、自分ももっと成長していかなくてはならないなと思ったし、沢山の事を学ばせてもらえました。
○宮城県突入!
宮城県気仙沼市に突入し、山を走っていくと20時には気仙沼市内に突入。
暗くてよく見えませんでしたが、海沿いを走っていくと、通行止めの道があったり、壊れた建物があったりしました。
そんな道を一人自転車で走っていると怖くなりました。
そして、走っていくと、紹介してもらいこの日お伺いさせてもらえる事になっていた、望洋というホテルに到着。
望洋は高台にあり、建物が壊れるという被害はまのがれたものの目の前まで船が乗り上げてきたりした所で、メディアでも大変話題になった所。
そんな望洋は、震災後は避難所として使われたり、ボランティアの施設として使われたりしていて、
この日は望洋の社長と女将さんのご好意でボランティアの方々の部屋に泊めてもらいました。
社長、女将、ボランティアの皆さんと、気仙沼、震災時、ボランティア、旅の話などができました。
社長さんは地震直後海の前にある家に戻り、津波がくるギリギリ10分前に避難したという話をしてくれました。
その直後津波が来て家は全てなくなってしまったとの事でした。
一歩間違えれば亡くなられていたことを考えると、壮絶すぎて現実味がわきませんでしたが、改めて自然の恐怖を感じました。
その後は部屋に戻り、ボランティアの方々とサッカーを見ながら、気仙沼の状況の話などを聞きました。
気仙沼も震災後に比べれば随分復興したとのことでしたが、まだまだだという話をきかせてくれました。
そしてこの日は深夜2時くらいまで話し就寝。
以上です。
地震に関する支援・ボランティア・情報は日本赤十字社
→ http://www.jrc.or.jp/
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