『鎌倉殿の13人』~後追いコラム その133
第37回 オンベレブンビンバ
今回は、阿野時元(あのときもと:森優作)について。
今話で初登場した阿野時元。父は阿野全成(新納慎也)、母は実衣(阿波局:宮澤エマ)。生年不詳。
父全成は、1203(建仁三)年6月に謀反の疑いをかけられ、常陸国に配流となった後、将軍頼家(金子大地)の命を受けた八田知家(市原隼人)によって誅殺された。翌月には、時元の兄頼全(らいぜん:よりまさ:小林櫂人)が、京東山で幕命を受けた源仲章(生田斗真)らによって誅殺される。
(全成最期の場面)
(仲章に忙殺された頼全)
本来なら謀反人の縁者は根絶やしにされて当然だが、時元は殺されなかった。母が北条時政の娘(実衣)であり、四男でありながら阿野家の家督を継いでいたとも言われるが、だとしたら、余計に始末しなければならない存在だ。また、北条氏の娘を母に持っているというのなら、兄たちの母は、実衣ではないのか?全成の妻は史料的に実衣(阿波局)しか見当たらない。ますます謎は深まる。全成誅殺後、頼家は実衣までも捕らえようとしたが、尼御台政子(小池栄子)がそれを阻止した。この時、時元も全成の唯一の形見として助けられたのだろうか。
時元は、父・兄が殺された後、『鏡』を見る限り、目立った動きはしていない。父の遺領駿河国阿野(静岡県沼津市)に住し、時には幕府に出仕していたと思われる。母が三代将軍実朝(柿澤勇人)の乳母なので、時元は乳母子。生年不詳だが、実朝の近くに支えていた可能性はある。何せ乳母子なので・・・。
1219(健保七)年2月15日、実朝が鶴岡八幡宮で公暁に暗殺されてから約一ヶ月半後、午後二時ごろ、政子の寝所にカラスが飛び込んできた。縁起が悪いことだと『鏡』は記すが、まさにその約2時間後、駿河国から飛脚(伝令)がやって来た。阿野時元が、2月に入って大勢を率いて砦を構えたというのである。そして、時元は天皇家から命を受け、関東を支配しようと計画していると。
四日後の19日、政子の命令を受けた義時(小栗旬)は、金窪兵衛尉行親(かなくぼひょうえのじょうゆきちか)らを駿河国に派遣し、時元を殺すように命じた。同月22日、時元は幕府軍と交戦するも敗北。翌日の夜には駿河国から伝令が到着し、時元は自殺したと伝えられた。
(父全成と共に眠る時元:静岡県沼津市井出)
頼朝ー頼家ー実朝と続く源氏嫡流の血統が途絶え、時元は頼朝の甥という血筋になる。頼朝を祖父とする公暁は、実朝暗殺後、三浦義村(山本耕史)によって打ち取られ、頼家の子供たちの血統は途絶えた。実朝には継ぐべき子がいない。こう考えるとき、時元が鎌倉殿にという野心を抱くことも想像に難くない。しかし、あまりにも呆気なく自殺に追い込まれることを考えると、時元が自ら鎌倉殿の地位を得るために反乱を起こしたのか疑わしくなる。
当時、幕府は北条氏によって牛耳られていたので、北条の側から時元を見るとどのように見えるかを考える必要があろう。北条から見て時元は、第二の公暁になる可能性を持った人物だ。実朝に関しても、北条の言う事を聞く将軍であったので、公暁に殺されたのは想定外だっただろう※1。実朝には子がなかったが、政子や義時は朝廷と掛け合って、天皇の子を将軍として迎えようと画策していた。それが成った時、第二の公卿(時元)が現れて、第二の実朝が生まれることは北条にとって、都合が悪い。時元の父全成は、当時頼家と対立していた北条側に与していたにもかかわらず、救われることなく誅殺されたのだから。つまり、北条にとって都合の悪い芽は、早々に積んでおくというわけだ。
また、時元が討伐される時、母実衣の動きが『鏡』に全く出てこない。以前にも書いたが、『鏡』は、北条氏にとって都合の悪いことは書かない傾向が強い。我が子が討伐される事を聞いた母実衣は、狼狽しただけでなく、激しく抵抗したはずだ。しかし、これは北条内部が一枚岩でないことが露見してしまうので、『鏡』の編者はあえて載せなかった。史料的裏付けは全くない中での勝手な推測なので、一笑に付していただいて構わないが、ドラマとしては面白いネタになるのではないかと思っている。
(前条の忘形見の時元を優しく見守る母実衣)
今話からあえて登場させた時元なので、三谷幸喜は何か考えているはずと思うのは私だけではあるまい。
※1 個人的に実朝暗殺の黒幕は、三浦義村だと思っているので、こうした文章になってしま
う。以前、どこかで書いたが、公暁は、義時を討ち損じた。身代わりとなった源仲章は可哀
想だが、義村にとって、義時を討ち損じたということは、お飾りの将軍だけがいなくなり、
幕府の中枢は何も変わらないということになる。だから、おそらくは事前の計画通りに実朝
を殺し、後ろ盾となった義村の館を訪ねたのであろう公暁は、義村によって裏切られ、命を
落とす。義村は、将軍を暗殺した大罪人の首を義時に届けることによって、自らの潔白の証
とした。義時も、全てお見通しであったと思われるが、ここで三浦と北条が正面衝突すれ
ば、互いに無傷では済まないので、義村の申し出を受け入れた。私の実朝暗殺事件はこんな
感じだ。