『鎌倉殿の十三人』〜後追いコラム その127 | nettyzeroのブログ

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『鎌倉殿の13人』~後追いコラム その127

第35回 苦い盃

今回は、『のえ』(菊地凛子)について。その3。 

 

菊地凛子演じる「のえ」が登場…NHK大河ドラマ『鎌倉殿の13人』第34回(9月4日)あらすじ・理想の結婚(Lmaga.jp) - Yahoo!ニュース

(おしとやかさを全面に出し義時に近づく『のえ』・・・野望を胸に・・・)

 

 1224年7月5日、伊賀光宗は盛んに三浦義村(山本耕史)の館に出入りし、密かに何かを相談していた。自分達の計画に義村を引き摺り込もうとしていた。その後、夜になって義時(小栗旬)の元館に集まって、何やら誓いを立てていたことを立ち聞きしていた女官が、泰時(坂口健太郎)にそれを伝えた。泰時は、誓い合うことは神妙な事だとあえて取り合わなかった。

 

鎌倉殿の13人:坂口健太郎“北条泰時”ビジュアル解禁! 「俺たちの泰時」と期待の声も - MANTANWEB(まんたんウェブ)

(『のえ』の本性を知った泰時は、父義時を心配するが・・・)

 

 翌閏7月1日、政子(小池栄子)は後に四代将軍となる幼い三寅(みとら:後の頼経)と共に泰時の館に赴き、義村を呼びつけた。そして義村に「我々と別行動をとってはならない。一緒にここにいなさい。」と命じた。政子の命だったので、義村も逆らうことはできなかった。政子は伊賀氏の陰謀に義村が取り込まれていたことを知っていたのか、政子も義村を頼りにしていたのかはわからない。また、今話で『のえ』の本性を見抜いていた義村が、伊賀氏の懐深くに入り込み、最後の最後に政子に寝返ったのか、詳細はわからない。しかし、結果として、義村は命拾いをしたことになる。

 

鎌倉幕府の尼将軍『北条政子』の逸話集!前半生の猛女伝説 | ライフハックアナライザ

(頼朝亡き後、その意志を守り抜いた尼将軍政子:伊賀氏の陰謀事件も政子のでっちあげという説がある:鎌倉安養院蔵)

 

 2日後の同月3日、政子の前で会議が行われ、大江広元(栗原英夫)も老体に鞭打って参加した。ここで伊賀光宗の陰謀が発覚(伊賀氏の陰謀事件)し、『のえ』と陰謀を主導した光宗は流罪となった。翌8月29日、光宗は信濃国(長野県)へ、『のえ』は伊豆北条に流された。

 

ライチュウ on Twitter: "鎌倉のオーベルシュタインこと大江広元が組織の綻びになりそうな人間を早くもマークしているの、めちゃくちゃ怖くて良いですね。  #鎌倉殿の13人" / Twitter

(鎌倉殿の13人の中で最も長生きした大江広元:今話では、政子を慰め、政子が気を許す場面があり、ネット上では、二人の今後の関係を詮索するような動きがあった)

 

 義時亡き後の幕府の動揺を示唆するこの事件、未遂に終わり、泰時は父を継いで執権の座についた。泰時の補佐役を政子から命じられた時房は、後に初代連署となって執権泰時を支えていくことになる。

 

福地桃子、大河ドラマ『鎌倉殿の13人』初登場!三浦義村(山本耕史)の娘・初役 | RBB TODAY

(泰時の妻初(福地桃子):夫泰時の執権就任を阻もうとする義母『のえ』と対決するような場面もあるかもしれない)

 

 伊豆北条に流された『のえ』は、同年12月12日から病に伏せり、23日午前中に重篤な状況となったと鎌倉に知らされた。その後、『のえ』がどうなったかは不明だが、間も無く亡くなったと思われる。『のえ』の子政村は、政村流北条氏の祖となり、第7代執権となる。1264年のことである。『のえ』の野望は、その死の40年後に現実のものとなった。

 

俺たちの泰時」だけじゃない。北条義時の息子たちを一挙に紹介!【鎌倉殿の13人】 | 歴史屋

(北条政村:義烈百人一首:江戸時代)

 

 死の3年後、ある事で彼女は歴史上に悪女として名を刻むことになる。承久の乱で後鳥羽上皇方に与したとして追われていた尊長(そんちょう:『のえ』の女婿)が、6年間の逃亡の末、1227年に捉えられた。自刃しようとしたが死にきれなかった尊長は、六波羅探題での取り調べに対し、「只早く頭を斬れ、もしくは義時の妻(のえ)が義時に盛った毒を寄越して早く殺せ」と言った。『明月記』(藤原定家の日記)に載っている記事だが、これによって、『のえ』は夫を、それも鎌倉幕府の中心人物を毒殺した、とんでもない女性というレッテルを貼られることになる。

 

明月記〈自筆本/〉 文化遺産オンライン

(藤原定家の日記『明月記』:国宝)

 

 ちなみに、以前は、義時の毒殺を支持する歴史学者は多かった。しかし、現在は、『鏡』の記述を(前述)支持する学者が増えてきている。

 

 今回書いた事柄は、義時の死後のことなので、大河ドラマで描かれるかわからない。でも、『鎌倉殿の13人』と題しているので、生没年不詳の足立遠元(大野泰広)を除き、大江広元が1225年まで生きているし、尼将軍と言われた政子も広元の死のひと月後まで生きているので、もしかしたら、伊賀氏の陰謀事件が描かれるかもしれない。菊地凛子を『のえ』に起用したことを考えると、なんとか描いて欲しいと思うのは私だけかなぁ・・・。

 

 そして、次回はいよいよ畠山重忠(中川大志)が・・・。

 

 

※1 とは言っても、実泰に関しては、没年しか記されておらず、出産に関する記事は『鏡』にはない。