『鎌倉殿の13人』~後追いコラム その110
第29回 「ままならぬ玉」
今回は、頼家(金子大地)の次男として生まれた善哉(ぜんざい)について。
いやぁ~善児(梶原善)に育てられたトウ(山本千尋)、カッコ良かったですねぇ。善児が出てきて誰も殺されないというのはちょっと拍子抜けでしたが。トウは、比企能員(佐藤二朗)が殺される場面、そして頼家が修禅寺で暗殺される場面に関わってくるかもです。架空の人物なので、脚本家の腕でなんとでもなりますから笑。でも、トウが頼家を暗殺するとしたら、NHK的にはちょっとダメな感じがします。なぜなら、頼家は入浴中を襲撃され、執拗に抵抗したので、最後は「ふぐり」を掴まれて殺されるので。千尋ちゃんがそんなことするなんて・・・妄想・・笑。
閑話休題
1219(承久元)年1月27日、三代将軍源実朝(柿澤勇人)は、甥の公暁(くぎょう:寛一郎)に暗殺された。この公暁こそ、今話で頼家と正妻つつじ(北香那)との間に生まれた善哉だ。かわいい赤子として登場した善哉は、後にとんでもない事を起こすことになる。そして、この善哉の乳母夫が三浦義村(山本耕史)。実朝暗殺の黒幕に関しては諸説あり、公暁単独犯行説まであるが、個人的には三浦義村が黒幕だと思っている。これはまたそのうち書きます。
(樹齢千年といわれた鶴岡八幡宮の大銀杏は、2010年3月に強風によって倒木した。この陰に公暁は隠れ、実朝を待ち伏せたといわれる。果たして800年前は人が隠れる事ができる太さだったのだろうか・・・)
善哉が『鏡』に初めて登場するのは、1202(建仁二)年11月21日、鶴岡八幡宮への初参拝の記事。この時、3歳と記されているので、生まれは1200(正治二)年ということになる。頼朝(大泉洋)の死の一年後だ。
1205(元久二)年12月2日、父頼家が殺されてから5ヶ月後、6歳になった善哉は、祖母である尼御台政子(小池栄子)によって鶴岡八幡宮別当(長官)の尊暁(そんぎょう)の弟子となった。翌年6月、政子の屋敷で実朝隣席のもと、着袴の儀(※1)が行われた。そして10月には、政子の命で実朝の猶子(※2)となり、初めて御所に入り、乳母夫である三浦義村からお祝いの品の献上を受けている。
(源実朝像:京都大通寺蔵)
1211(建暦元)年9月15日、出家して公暁を名乗る。一週間後には正式に僧として受戒(※3)するために京に上った。この時、実朝からお供の侍5人が与えられた。実朝と公暁は親子の縁を結んだからだと『鏡』は記す。六年後の1217年6月、園城寺から鎌倉に戻り、政子の命で鶴岡八幡宮別当となっている。
同年10月11日、別当就任後初めて神様にお参りをし、宿願があるということで、この日から千日参籠(さんろう:※4)を始めた。「宿願」の具体的説明はないが、18歳になった公暁は、おそらく、謀殺された父の恨みを晴らす事を考え始めたのではないかと推測される。翌年12月、まだ公暁の参籠は続いていた。全く出てこようとせず、いくつもの願をかけているようで、髪の毛も伸ばしっぱなしで、皆不審に思っていた。公暁が参籠している最中、実朝は右大臣に任命され、年が明けてから鶴岡八幡宮へお礼の参拝をする事が決まった。そしてその時、事が起こる。
※1 子供の成長を願うための儀式。3歳から8歳くらいの間に行われる。現在の七五三の起源
とも言われる。
※2 仮の親子関係のこと。つまり、養子ではない。
※3 仏教の戒律を授ける儀式。八幡宮の別当なのにと不思議に思われる方も多いかもしれない
が、当時は神仏習合、つまり、仏教と神道がごちゃ混ぜになっている時代なので、僧侶も
神官もボーダーレスになっている。もちろん例外もあるはずだが。
※4 社寺に籠って神仏に祈願すること。その期間はさまざま。公暁は千日という目標を立てた
が、その途中で殺されている。