『鎌倉殿の13人』~後追いコラム その74
第17回 助命と宿命
今回は、壇の浦の戦いについて。
次回5月8日は、第18回「壇の浦で舞った男」。前半戦のハイライト、壇の浦の戦い。待ち遠しい気持ちを抑えきれないので、『平家物語』巻第十一「壇の浦合戦」で戦い前夜を見たいと思う。いつものように私のチョーてきとーな口語訳で。(笑)
(『平家物語絵巻』より壇の浦の戦い)
義経(菅田将暉)は、周防(山口県東部)に渡り、兄範頼(迫田孝也)と合流した。平家は、長門国(山口県西部)の引島(ひくしま:彦島:下関市南端)に着いた。源氏は阿波国(徳島県)勝浦に着いて、屋島の戦いに勝利した。平家は引島に着くと伝わったが、源氏が同国の追津(おいつ)に着いたのは不思議なことだ。(※敗れた平家が「引いて」、勝った源氏が「追う」という事)
熊野別当湛増(たんぞう)は、源平どちらに付こうかと、田辺の新熊野で御神楽(おかぐら:神事)を奏して、権現に祈った。すると、「白旗(源氏)に付け」とお告げがあった。しかし、なお疑いを持っていたので、白い鶏七羽と赤い鶏七羽を使って、権現の御前で勝負させてみた。すると、赤い鶏は一羽も勝てず、みんな負けて逃げてしまった。それで源氏への参陣を決めた。
(弁慶と湛増の像:和歌山県田辺市)
湛増が一門の者どもを集め、計二千余人、二百余艘の船に乗って、若王子の御神体を船に乗せ、旗の上の横木には金剛童子(こんごうどうじ:阿弥陀仏の化身)を書いて、壇の浦へ近寄るのを見て、源平両軍とも(自軍に加わってくれと)拝んだ。船は源氏の方へ味方したので、平家はテンションガタ落ちした。。
また、伊予国(愛媛県)の住人、河野(かわの)四郎通信(みちのぶ:伊予水軍の将)は、百五十艘の兵船に乗り、漕ぎ着けてきて源氏と一つになった。義経は、一人一人頼もしい加勢と思われた。源氏の船は三千余艘、平家の船は千余艘、唐船が少し混ざっていた。源氏の勢力は加勢によって増したが、平家の勢力は落ちて行った。
(河野通信が奉納したと伝わる紺絲威鎧(こんいとおどしよろい)・兜・大袖付:大山祇神社:愛媛県今治市)
『平家物語』は、この後、いよいよ壇の浦の戦いの場面を記すが、こうしてみると戦う前から源氏と平家ではテンションに大きな差があったことがわかる。
今回の内容は、ドラマの中では描かれないだろう。湛増や河野通信の名前は出てくるかもしれないが・・・。果たして、三谷幸喜はどのように壇の浦の戦いを描くのか?題名からして、義経が颯爽と八艘飛びを見せてくれるはずだが・・・。ちなみに、八艘飛びというのは、八艘分宙を飛ぶのではなく、八艘の船の間をピョンピョンと飛び移ることをいう。(続く)