『鎌倉殿の十三人』~後追いコラム その73 | nettyzeroのブログ

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『鎌倉殿の13人』~後追いコラム その73

第17回 助命と宿命

今回は二人の小童(こわっぱ)について。

 久しぶりに登場した工藤祐経(わが家 坪倉由幸)。三谷幸喜は、私の思ったのとは全く違う工藤祐経をイメージしているようだ。

 

鎌倉殿の13人」工藤祐経(坪倉由幸) 伊東祐親への恨みの理由は?「曾我兄弟の仇討ち」に発展する恨みの連鎖

 

 職を漁りに義時(小栗旬)の館を訪ねてきた時、祐経に石を投げた二人の小童がいた。義高(市川染五郎)を逃亡させるためのカムフラージュとして集まっていた子供たちの中にもいた。実はこの二人は、10年後にとんでもない事件を起こす。

 

鎌倉殿の13人」曽我兄弟トレンド入り“工藤祐経”坪倉由幸 久々登場も石を投げられ…ネット期待― スポニチ Sponichi Annex 芸能

 

 二人の父親は、河津祐泰(かわづすけやす:山口祥行)。伊東祐親(浅野和之)の長男で、河津荘を祐親から相続し、河津を名乗った。実は、頼朝(大泉洋)がまだ平家打倒の挙兵をする前、祐親・祐泰親子は所領問題で工藤祐経と揉めていた。

 

 祐経の父祐継が早世し、幼い祐経の後見人となった祐親。祐経元服後、娘を嫁がせた。伊東家の嫡流だった祐親は、祐継に伊東荘が相続されたこと、祐継亡き後、伊東荘を祐経が相続したことを快く思っていなかった。

 

 祐経が平重盛(清盛の長男)に仕えるため在京していた隙に、祐親は伊東荘を横領し、祐経の妻(自分の娘だが)を土肥遠平(実平の嫡子)に再嫁させてしまった。祐経からすると寝耳に水。祐経は、都で訴訟を起こすも不調に終わる。祐経は、祐親を深く恨んだ。そして、祐親たちは伊豆豊野の巻き狩りからの帰路、祐経勢に襲撃され、祐泰は射殺ろされてしまった。

 

鎌倉殿の13人】第10回おさらい・空気の読めない義経公 | 鎌倉テクトコ日誌~トキメクもの見つけた!~

 

 射殺ろされた祐泰の2人の子供が、冒頭に書いた子供だ。兄は「一萬」、弟は「筥王(はこおう)』と言った。父祐泰が射殺された時、兄は5歳、弟は3歳だった。悲嘆に暮れる母は、二人に「十五、十三になれば、親の仇を討ち、私見せてくれ」と泣いた。

 

 元服した二人は祐成、時致(ときむね)と名乗った。そして、1193(建久五)年5月28日、頼朝が催した富士の巻狩りの時、父の仇工藤祐経を宿営に襲って討ち果たす。有名な曽我兄弟の仇討ちである。事は兄弟二人の仇討ちで終わらず、御家人も何人か怪我をし、二人の襲撃を受けた現場は大混乱となった。弟は頼朝を襲わんとして捉えられ、兄祐成は仁田忠常(ティモンディ高岸宏行)に討ち取られた。弟時致は後に梟首された。

 

2022年 大河ドラマ「鎌倉殿の13人」 Twitterissä: "/ #仁田忠常(にった・ただつね) #高岸宏行(#ティモンディ) \  北条を支える伊豆の武士。本拠が近い北条家とは仲が良く、たびたびお願いごとをされる。笑顔がトレードマークだが勇猛果敢。 #鎌倉殿の13人 あすに続き  ...

(祐成を討った仁田忠常)

曽我兄弟の縁の場所(富士市)~化粧坂少将(姫宮神社)・曽我寺・曽我八幡宮・五郎の首洗い井戸 | 歴史探索

(曽我兄弟の像:鷹岳山福泉寺(曽我寺))

 

 曽我兄弟の仇討ちは、頼朝暗殺計画とも言える物騒な企みをはらんだものだった。

 

 時致の烏帽子親が北条時政というのがチョーー気になる。三谷幸喜はどう描くのか?楽しみーー!