『鎌倉殿の13人』~後追いコラム その64
第14回 都の義仲
今回は、今生の別~頼朝(大泉洋)と義経(菅田将暉)
「必ずや兄上の御期待に応えて見せまする!ひと月の内に平家を滅ぼしてご覧に入れます!」義仲(青木崇高)を一刻も早く討ち取れとの頼朝の命に「畏まりましたぁ!」と意気揚々と答えた義経。
そして、出陣に際し、
(義経)「兄上、これより源義仲討伐に出陣いたします。」
(頼朝)「存分に腕を振るって参れ」
(義経)「兄上のために全身全霊を傾けて戦い抜きまする。」
(頼朝)「うん。黄瀬川のほとりで再会してから今日に至るまで、じっくり二人きりで話したこ とはなかったな。」
(義経)「確かに。」
(頼朝)「戦から戻ったら、語り尽くそうぞ。」
(義経)「いかにして義仲を倒したか、いかにして平家を滅ぼしたか。夜を徹して兄上にお話しするのを夢見て、九郎は戦って参ります。」
(義経の弓の腕前を見た頼朝)「見事じゃ。強き弟に恵まれて、わしは果報者じゃ。」
(義経)「京でお待ちしております。」
これが頼朝と義経の今生の別になる。頼朝との約束通り、義仲そして平家を滅ぼした義経だったが、権謀術数に長けた後白河法皇(西田敏行)の前に兄弟の絆は断ち切られてしまう。
鎌倉殿頼朝は、戦功の褒美は各自が勝手に朝廷から受けてはならないと厳命していた。しかし、義経を含め、多くの武士たちがその命に従わず、官職を受けてしまった。後白河は、平家そして義仲なきあと強大化する頼朝を牽制し、自らの政治的影響力を保持するため、こうした作戦に出たのだ。さすが頼朝をして日本第一の大天狗と言わしめた後白河だ。義経が受けた官職は、左衛門尉(さえもんのじょう)で、尉は判官(ほうがん:はんがん)とも言われるので、義経は九郎判官とも別称された。後に判官贔屓という言葉が生まれるが、義経の官職名から来ている。
頼朝は、自分の命に従わなかった武士たちを厳重に処分したが、身内である義経には特に厳しかった。さらには梶原景時(中村獅童)が、義経の勝手な振る舞いを頼朝に報告していたことも影響していた。壇ノ浦の戦いで生け捕られた平宗盛(小泉孝太郎)らを鎌倉に護送した際、義経は鎌倉に入ることを許されず、腰越に留め置かれた。兄頼朝への思いを認めた腰越状はここで書かれた。
義経の兄頼朝への熱き思いはやがて怒り、憎しみへと変わっていく。今話で描かれたことが何話か後に回想シーンとして出てくるかもしれない。