『鎌倉殿の十三人』~後追いコラム その58 | nettyzeroのブログ

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『鎌倉殿の13人』~後追いコラム その58

第13回 幼なじみの絆

 

 頼朝(大泉洋)は、義仲(青木崇高)の動向を知るため出陣していた!

 

 頼朝の叔父源行家(杉本哲太)が褒美を無心するために来たのをけんもほろろに断った頼朝。行家は、まるで駄々っ子のように「良いのか、木曽のところに行っても」と頼朝を牽制。頼朝はそんな行家に「はぁぁぁ?」と。「わしが義仲のところに行ったらどう成るか」さらに迫る行家。頼朝は「痛くも痒くもなし!」と一喝する。

 

鎌倉殿の13人:杉本哲太“行家” 野心家の頼朝の叔父 義仲、義経ら ...

 

 その後、大江広元(栗原英夫)が、行家は朝廷とのパイプがあり、義仲と行家が組むと思わぬ力になることを懸念し、その動向を探るために兵を出そうと提案する。しかし、それに三浦義澄(佐藤B作)、岡崎義実(たかお鷹)ら御家人が猛反発して頓挫。特に、老将岡崎義実が「わしらは鎌倉殿のためなら何でもするってわけじゃねぇんだぁ」としか言わない場面は笑えた。結局、兵を出すことは諦め、蒲冠者(かばのかじゃ)源範頼(迫田孝也)、北条義時(小栗旬)らを使者として派遣することとなった。実際に使者を出したのは義仲側だったのだが。

 

 

 この騒動があったのは、1183(寿永二)年。この年は以前に書いたように、『鏡』が欠損している。『平家物語』でどんな状況だったか見てみよう。

 

 寿永二年3月上旬、頼朝と義仲の間で紛争があった。頼朝は、義仲追討のため、十万余騎の軍勢で信濃国へ進発し善光寺に到着。義仲はこれを聞いて、信濃・越後の国境にある熊坂山(現、長範山?)に陣取る。

 

見出し画像

(義仲が熊坂山へ向けて出陣した依田城跡)

 

遠くとも一度は詣れ善光寺 | ながの観光net

(善光寺)

 

 義仲は乳母子であった今井兼平を頼朝の下に遣わして、頼朝に対して遺恨がないこと、義仲まで行家につれなくするのはどうかということで迎え入れたことを伝える。しかし、頼朝は義仲が自分に謀反を企んでいるという確かな情報があると言い張って、土肥実平(阿南健治)・梶原景時(中村獅童)を先鋒として陣をすすめているとの情報が義仲にもたらされた。まるで、いちゃもんつけてフセインを潰したアメリカみたい。歴史は繰り返す?閑話休題。

 

 義仲は頼朝に遺恨がないことを証明するために嫡男義高(市川染五郎)当時11歳を護衛の者を付けて頼朝の下に送る。頼朝も義仲に遺恨なしと判断し、我が子にしようと義高を連れて鎌倉に帰った。頼朝はアメリカではなかった。

 

2022年 大河ドラマ「鎌倉殿の13人」 on Twitter: "/ #源義高 ...

 

 少々長かったが、『平家物語』巻第七 「清水冠者」(義高のニックネーム)の段で当時の様子を見た。『十万余騎』というのは『平家物語』独特の誇張であろうが、頼朝と義仲は一触触発のところまで行っていたのだ。頼朝の使者としてやってきた範頼や義時たちに、義仲が自ら釣ってきた川魚を振る舞うような呑気な状況ではなかったのである。面白かったけど・・・。

 

鎌倉殿の13人:第13回「幼なじみの絆」 秘めたる義仲の真意とは ...

(生焼けの魚を食べさせちゃった義仲とそれを指摘した義時)